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「オペラ座の怪人」に惑う23・『再会 ルイーズ 1861年』 [二人のマダム・ジリー]

彼に再会したのは1861年、ちょうどシャルルが
オペラ座の設計コンペに優勝した年でした。
「あまりぶしつけな手紙をよこしたから、かえって会う気になったんだ。」
なんでも、莫大な資金提供をするかわりに、たぐいまれな才能を持つ
自分の趣向を生かせるよう現場に出入させて欲しい、
つまり請負業者になりたいという人物がいるらしいとのこと。

シャルルはオペラ座建設を任されたことで、下層階級から
ようやく上流にのし上がれると踏んで意気軒昂。
ずっと年下で15になるのを待ってようやく結婚できた私との生活を
より向上させたいという気負いもあるところへの彼の申し出は、
少し気短かな夫にとって、プライドと欲望とを
激しく闘わせるものだったのかもしれません。
「今晩、このアパルトマンにやってくるから。」
サンジェルマン通りにようやくかまえた我が家の第一番目の客人は
いったいどんな人かしら、家を整えること、妻としての役割を果すことに
夢中だった私の方は、そんな軽い気持ちだったんです。

やってきた客人は、黒いマントを身にまとい、シルクハットに
顔半分を覆う白い仮面といういでたち。
物腰はあくまで上品で、玄関に出迎えた私に恭しく一礼して、
夫への案内を乞いました。
その声を聞いて、私はようやく思い出したんです。
客人が、かつての師匠だということに。
すぐに気がつけなかったなんて、私はお馬鹿さんだったんでしょう!
あっと驚き高ぶる気持ちをようやく抑えて、彼のシルクハットを受け取り、
半ば夢み心地で夫の書斎に客人をつれてゆきました。

二人が挨拶を交わし改めて妻として紹介され、
差し出された手を握りしめたあとは、全身がかすかに震えるのを
止めることができず、飲み物の用意をしながらカップひとつ
大きな音をたてて落してしまい、夫が心配してやってくるほどでした。

「・・・あなたには、快適な暮らしをしていただこうと考えているんですよ。
若い奥さまとの家庭のために、素晴らしい住み処を作ってみたいという
ご希望もあるでしょう?」
狭いアパルトマンの小さな書斎で話す二人の会話は、すべて耳に入ってきます。
彼の声の、あいかわらず美しいこと。
中下層の出身とはいえ、彼のおかげで音楽の手ほどきを
受けることのできた私は、いままで聴いたどの歌手や師のどれよりも
芸術的な抑揚を彼の発する響きに、改めて確認したんです。

うっとりとその声に聴き惚れながら、交渉がうまくいって欲しいと願いました。
あの声を、どこか懐かしいあの声をずっと聴けるものなら。
夫ははじめ、彼の言葉に懐疑的でしたけれど、あることに気づいて
心の垣根を取り払うことになったようです。
「彼は、エリックだ。8歳でこの設計図を描きあげた天才がいると、
美術学校で老教授から聞かされたとき、
どんなにショックで、そして感動したか。
彼に出会えるなんて、彼が設計コンペに応募しなかったなんて、
私はなんと幸運なんだろう。お前も本当に幸せものだよ。」
客人と和やかに別れたあと、夫は感に堪えないように私に告げたのです。
本当にそのとおりね、シャルル。
これからは足繁く訪ねてくださることを願い、玄関にたたずんでいると
ドアが再びコツコツと鳴りました。

「これをお渡しするのを忘れていました。奥さまに。」
黒い皮手袋に包まれた大きな手で、おずおずと差し出される
タータンチェック柄のチョコレートの箱。
初めてお会いしたときと同じ。
まだ、私を子ども扱いしていらっしゃるのかしら、それとも・・・。
「ジェラールさん、あの・・・。」
言葉を続けようとすると、静かに、というように、
彼は人指し指を口もとへもってゆきました。
あいかわらず、なんという瞳の色。
仮面に隠された吸い込まれるようなその力に、
かつても幻惑されたことが蘇ります。
いまは、何も話すなということなのですね、
いいわ、今後はいつでもお会いできるのですもの。

ガス灯に浮かぶマントと仮面が、今度こそパリの街闇に消えていきました。


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「オペラ座の怪人」に惑う15『宝石 ルイーズ 1854年』 [二人のマダム・ジリー]

婚礼の日のエリザベート様はいつもに増してとてもお綺麗で、
絵本でみた女王さまそのままのようなお姿でした。
小さい子がそばにいたら気が紛れるからと、
私は控え室を御一緒させていただくことになったんです。
なぜか、お化粧や衣装をなおしに下がっていられるときには
泣いていらっしゃることもあって。

そんなときは、ジェラール、ジェラールって呼ばれるの。
するとどこからともなくお声が聞こえてきて。
何をおっしゃっていたのか、エリザベート様だけにわかるようで、
しばらくすると落ち着いて皆さんのところに戻っていかれるんです。

パーティでお披露目をする方は、私の他にもたくさんいらっしゃいました。
朗読をされる方、楽器を演奏される方、対話をされる方、
とっても上手にご結婚を祝う気持ちを表されました。
ちょっと高くなった演台の上に、皆さんと御一緒に座っていたのですけれど
とっても緊張してしまって。
ジェラールさんから教わったあがってしまったときにする呼吸法というのも、
すっかり忘れてしまったんです。

「ルイーズ。目を閉じて。ゆっくり息をしてごらん。」
目を大きく開いて、口から飛び出しそうな心臓の鼓動を
全身でおさえていた耳に、聞こえてきた天使の声。
途端に体がほぐれて、あらかじめ教えていただいたとおりに呼吸すると
心臓も落ち着いてきました。
「さあ、目を開いて。満場の客が身につけている宝石たちをごらん。
そう。ダイヤ、ルビー、サファイヤ。変わったところではアクアマリンか。
冷たい光を放っているあの石たちが、君の歌を聞きたがっている。
身につけている本人たちよりも、熱心にね。
物言わぬ最高の観客たちに、君の歌を聞かせてあげようじゃないか。」

名が呼ばれて、私の足はひとりでに演台の中央に進みます。
きらきらまぶしく光る、席についていらっしゃる方々の、
競うように散りばめられた宝石たち、よく聞いていて。
もうひと呼吸して、ピアノの前にいらっしゃるグスタフ先生に合図をして、
祝福の歌を。
ラストの高音域を乗り越え、終わってピアノの方をみると、先生はうなずいて
にっこりお笑いになったので、上手くいったのだとわかりました。

気がつくと、広間にいらっしゃる方々からも拍手とお褒めの言葉が
こちらに降り注いでいます。
次に始まるバレエの小品の最後の指導をなさっていたクレアお姉さまの姿も。
私の額にキスをしながら「あの方に、感謝なさいね。」と言ってみえたかしら。
そのとき、私は再びあの声を聞いていたんです。
「控え室に戻っておいで。いまは誰もいないから。」

控えのお部屋にひとりで入ると、確かにとっても静かでした。
鏡の前の椅子に座ってお待ちしていると、「ルイーズ・・・。」
「ジェラールさん?どこにいらっしゃるの?」
「すぐそばに。ご婦人の部屋には入れないのでね。でも話はできるだろう。」
「どうか姿を見せてください。」
「見せるほどの成りではないよ、旅支度をしているから。
だけど、どうしてもというなら、君の前にある鏡にもっと近づいてごらん。」

鏡の向こう側に浮かんだマント姿をみた私が、
びっくりして声をあげそうになると、影はそっと指を口にそえ
「静かに。こちらへおいで。」
隠し扉といって、鏡の向う側は通路になっていたんです。
「陰謀渦巻く皇室の、自衛手段だね。なかなか面白いだろう?」
手をとられて暗い路を抜け、小さなジェラールさんのお部屋に入ると
本当にすっかり片付いて、いつでも出発できるようになっていました。
お話できる時間は、もう残り少ないんだわ。

「さあ、ルイーズ。上手に歌えたらご褒美をあげる約束だったね。何がいい?」
「あの、最初にお礼を言わせてください。いろいろありがとうございます。
あんなふうに歌えるなんて。
ジェラールさんのレッスンやお声がなかったらとても。」
「ルイーズは、歌うことは好きかな。」
ジェラールさんは、静かにお尋ねになりました。
「・・・。本当はあまり好きではないんです。音楽を聴くことほどには。
レッスンのおかげでとても面白くなってきたんですけれど、
大勢の方たちの前で歌うのは・・・。」
「そうだろうと思っていたよ。君は舞台の幻影になるよりも、
日向で戯れるか、観客席の宝石でいる方が似合っている。」
「ごめんなさい。」
「あやまることはない。では、君を私の夢から解放しよう。
ディーバの誕生という夢からね。」


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