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「オペラ座の怪人に惑う・ミュージカル鑑賞1・舞台と映画 閑話休題その17」

映画公開一周年を記念して、舞台を鑑賞。
初演を見逃してから十数年、映画を十数回鑑賞後での舞台はまた興味深く。
映画と舞台の違いなどを挙げつつ、考えてみましたので、
よろしかったらご覧くださいませ。

「最初のオークションシーン」
あの有名なシャンデリア登場。
舞台のシャンデリア、これは古びた感じをわざと出した美術とのこと。
毎舞台で落さなくてはならないので、きっと軽く、丈夫に作られているのでしょう。

映画では豪華絢爛なスワロフスキークリスタルのシャンデリア。
目を奪われてしまうのは、やはり映画の方ですね。

「ハンニバルの練習とクリスティーヌの楽屋」
ラウルが練習中には登場しない舞台。
カルロッタの代わりに歌ったクリスティーヌに気づいたラウル
花ではなく、ワインボトルを抱えて楽屋に入っていっても、
最初は思い出してもらえない。

映画では練習中にラウルを見つけても、素通りされてしまうクリスティーヌ
楽屋に入ってきた彼を喜んで迎えます。

映画と舞台では二人の立場が反対になっているのですね。

また、クリスティーヌのデビューを讃えるファントムからの贈り物も、
映画の赤薔薇ではなく、手紙
ついでに、前の支配人が向うのは、オーストラリアではなくフランクフルト。

「地下道&隠れ家」
舞台の地下道では馬は使われていません。
クリスティーヌの体に直接、手を這わせるファントム
このあと、花嫁人形が突然動くことで、クリスティーヌは気絶します。
作曲中のファントムが着ているのは、中華風の帽子と衣装
舞台のファントムは自信家で、クリスティーヌに対してかなり強引で直接的

触れたくても触れられない、手を差し伸べつつも、クリスティーヌが自ら触れて
ようやく進んでゆける臆病にも近い繊細さ
相手の顔色を見つめ、確かめながら歌い上げる、
芸術家同志の火花舞う邂逅
彼女の手を取って間接的に体のラインをなぞる
奥ゆかしくも強烈なセクシーさ
こちらはクローズアップを使える映画ならではの演出で、
触覚さえも喚起されます。

「オペラ座の屋上」
クリスティーヌのマントは。(映画では
彼女の裏切りに逆上したファントムは、舞台上にシャンデリアを落して高笑い、
ここで幕間に入ります。
実際に客席すれすれまで降下してゆく様子は必見。

シャンデリアが落ちる効果は、「ベルばら」などにも使われていますが、
とてもドラマティック。
映画ではラスト近くにもっていくという演出が効果的でした。

「マダム・ジリーの告白」
舞台では、見世物小屋にいたファントムは、発明家でマジシャン
ペルシャ王のために鏡の間を作った建築家として、英雄的扱いだったのに、
なぜか脱走、オペラ座の地下に数年前から住むことになったとのこと。

映画では、見世物として扱われていたファントムの少年時代を描き、
マダム・ジリーが手を取って彼をオペラ座に連れてきたことに。

自信家のファントムを裏書する舞台、幼き日のトラウマまで遡って描く映画、
どちらも面白いですね。

☆名訳といわれる浅利慶太氏の歌詞を愉しもうとしたのですが、はじめのうちは
何百回と聴いているサントラに、頭の中で変換されてしまいました。

続きます。


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「ベオウルフ&グレンデル」上映実現に向けて

ジェラルド・バトラー氏の次回作、「ベオウルフ&グレンデル」。
素晴らしい映画になったようで、映画祭などでも評価は高いようですが
いまだ上映の目処がたっていないようです。

勇者の物語として、昨今のさまざまなファンタジーの源流のひとつとも言われる
「ベオウフル&グレンデル」。
よろしかったら、上映へ向けて皆さまのお力をお貸しくださいね。


by TimeLine 


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「オペラ座の怪人に惑う31」「クレア 1875年 『秘密』

「ご覧、クレア。君にだけ、このオペラ座の姿を、全てみせておこう。」

地面にほんの少し顔を出している蟻の棲みかが、
思いもかけないほど広大な範囲で広がっているように、あの方の息づく場所も、
それこそオペラ座内部に縦横無尽に張り巡らされている。

あの方は喜々として、オペラ座にある2千以上もの部屋部屋の
ことごとくを案内し、その表の面と裏の、本来の姿を開示してくださった。
各部屋のキャビネットやランプや鏡の後ろ潜む通路や抽斗には、
様ざまな装備が施されどこにいても、どんな事態にも
対処できるのではないかと思われる。
気に入らぬ者を封じ込めるための踏み板の多さなど、
全てを記憶するのは到底不可能なほどだったけれど、
その先に待っている苦痛を逃れる方法を、
あの方は懇切丁寧に教えてくれるのだった。
いつも、私にだけ、という言葉から始めて。

「この鏡面地獄から抜け出るコツはね、鏡に映る姿ではなく、
己の影を見ることなのだよ。リズムを刻んで、そう。
いつも君が生徒達に教えるステップのようにね。」

あの方の住まいへ通じる道も、いくたりもあった。

ひとつめは、幾重にも積み重なる螺旋階段を降りることで、
それは奈落に向うような感覚と戦いながらの道行きとなる。
しかもその途中には、本物の奈落、すなわち招かれざる客人をいざなう罠が
いくつも仕掛けられていたから、万が一その道を目指そうとする酔狂なものが
現われても、あの方の住まいに到着するのは困難なのだった。

もうひとつは、楽屋の裏に通じているごく緩やかなスロープで、
あの方の言葉を借りれば「ご婦人向き」な通路。
昼夜問わず明りが灯り、通り抜ける客人を照らし出す。
あの方の住まいへの到達を阻む罠はないかわりに、通ったものを確実に
虜にしてしまう荘厳で甘美な妖気が漂っている。
おそらくあの明りの燃料には、なんらかの媚薬が
入っているのではないかと思う。
ここを通ったときは、到着後しばらくして気を失ってしまうのが常だから。
とても甘やかな心地のままに。

あの方の手に引かれて、地下にある住まいも見せていただくことになる。
以前アパルトマンで暮らしていたときと同じように、
絵画の空間、音楽の空間が綴れ折のように重なり、
その奥に秘薬のつまった実験室と膨大な書物の収められた書庫がある。

寝室は二箇所、グスタフと対のベットが鎮座している部屋と
絹布と黄金に飾られた流麗な貝殻の寝床のある場所。
そのほかのいくつかの小部屋には、ご自分で作ったり作らせたりした仮面や、
人形や、衣装や、各国の皇室から内々に贈られた品々が
無造作におかれていた。
そしてどの空間にも必ずあるのが、天驚絨に覆われた大きな鏡だった。

「最後の通路を君だけに教える。ここを使うのは
私がこの住まいを去るときだけだ。覚えておいてくれるね。」
「こちらを去られるとき?」
「そうだ。このベットごと運びだされるとき、つまり棺桶が本来の用を足すときか、
もしくはこの住まいを世の連中に知られてしまったときさ。」

あの方は、いくつもならんだ鏡のなかの、一つの覆いを取り去る。
「この鏡の向うに、通路があるのですね。」
「ああ。」
「どこに開け口があるのでしょう。楽屋にあったものとは違うようですけれど。」
「鏡の扉そのものを壊してしまうのだから、必要ないのだよ、クレア。
ここを通るときは、二度と再び、帰ることはないのだから。」
そのときのことを予期するかのように、あの方は苦く笑った。

私はあの方が作り上げたものの、真の姿を知る。
十重二十重に囲まれた創造力の源泉。
選ばれ身をゆだねたものとっては楽園となり、
そうでないものにとっては煉獄となる。
それはきっと、あの方自身にとっても。


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オペラ座の怪人に惑う・閑話休題その16「夫と鑑賞」

ミュージカル食わず嫌いの夫とともに、「オペラ座の怪人」の
再上映を拝見しました。

「初めての『オペラ座の怪人』はどうだったかしら?」

「面白かったよ。ちゃんと最後まで観ていただけでもわかるよね。
つまらない映画だったら、特にオールナイトで観る場合は即、
眠ってしまうことにしているんだから。」

「誰が一番気に入った?」

「クリスティーヌ。歌が上手いね。」

「演じたエミィ・ロッサムは絶対音感があるということで、
幼いときからオペラの舞台にも出演していたみたいよ。」

「他の映画には出ていないの?」

「彼女は映画に出演したとき、まだ16歳だったから、これからというところね。
ファントムの人はアンジェリーナ・ジョリーの相手役をしているわよ。
ラウルはどうだった?」

「彼は、いい奴だよ。」

「ファントムは?」

「うーん、悪い奴。クリスティーヌを脅して脅して無理やり連れ去って。」

「ファントムはああいう愛の表現しかできない人なんだもの。
見世物にされていたことでもわかるでしょう?」

「ところで、あの最初と最後にでてきた老人ってラウルなんだよね?」

「そうよ。そして向かいにいたのがマダム・ジリー。
彼女、ラウルより20歳位上だけれど、最後のシーンでは若く見えるでしょう?」

「ラウルの方は車椅子にのっていたしね。」

「バレエを続けている人は綺麗だし、たぶん見世物小屋から
ファントムを助けて以来、長い間一緒にいたからだと思うの。
今夜観て思ったのだけど、鏡を壊した向こう側にある通路って、
ダーエ家のお墓に通じていて、
そこでファントムを待っていたのじゃないかしら?」

「そうそう、彼女は最後の地下のシーンに出てこないよね。
お墓といえば、クリスティーヌはいくつまで生きたの?
墓石に書いてあったみたいだけど。」

「1854年から1917年となっているから、63歳くらいかな。
映画は1919年のラウルの追想という形でもあるの。
クリスティーヌがいなくなって、多分第一次世界大戦で
子供をなくしたのではないかとも思うんだけれど、
ラウルは生きる気力を失ったのね。」

「クリスティーヌはどうして、仮面を剥ぎ取ったのかな?」

「たくさんの方がそのことに疑問を持つみたい。
特に原作やこれまで作られたどの映画よりも、今回のファントムは美しいから、
どうしてクリスティーヌがラウルを選んだのかしらとか。」

「それはその方がいいよ、幸せになれるから。」

「愛と恋の違いかしら。橋の上でクリスティーヌが
ハッと気づくシーンがあるでしょう。」

「ラウルと同じ歌を歌うところだね。」

「そうそう。同じ歌だけれど、ラウルはneed me,ファントムはwant me,と
歌っているの。愛し守る存在になろうとするラウルと、
欲望の対象としての表現しかできないファントム。
クリスティーヌは、ファントムが歌っているときは
いつも魔法にかけられたようになっていたでしょう?」

「ぼうっとしてふらふらと着いて行くよね。」

「それが、want me,と耳に入ったことで、
初めて歌の魔法が解けてしまったのじゃないかしら。
同時に仮面という美醜を覆い隠す魔法のアイテムを剥し取ることを思い出した、
きっとこれは事前にラウルと打ち合わせていたのだと思うの。
橋の近くまで警官が銃を持って迫っていたから、それを合図にクリスティーヌが
ファントムから離れたのを見計らって撃つ予定になっていたのかなって。」

「シャンデリアが落ちるところも凄かったね。」

「仮面を剥されようと剥されまいと、ファントムはああしてクリスティーヌを
連れ去る計画をしていたと思うの。
ただ、最初に地下に連れて行ったときも、墓地でも、
ファントムは誘うだけで、クリスティーヌは自ら近づいていっているのに、
素顔を皆に曝してしまったあとは魔法が解けて、あなたが言ったように
脅して脅して無理やり連れ去る形になり、
どんどん嫌われるようなことになってしまう。」

「あそこまで、醜く素顔を見せなくてもいいと思ったよ。」

「それが映画の醍醐味ね。」

「ところで、映画の途中で、一緒に歌っていなかった?」

「声は出していないけれど、つい合わせてしまうの。
客席にいらした他の方々も、心の中で歌っていらしたのではないかしら?」

「どうしてわかるの?」

「最後の音楽が終わるまで席を立つ人がほとんどいなかったでしょう?」

「たしかにそうだったね。」

「何度も何度も観ている方が多かったと思うの。
パンフレットも皆さん持っていらっしゃるから買っている人はいなかったわ。
半年間、再上映を待ち望んでいらしたのよ。」

「まあとにかく観てよかったよ。」

「ありがとう。」

「♪~」

「Think of me~♪」

「~~*○▽%♪」

「? ! ・・・ざわわ、ざわわ♪、素敵な歌だけれど、
それは『さとうきび畑(森山良子さん)』☆」

拙き戯れ事を読んでいただき、ありがとうございました☆
共に鑑賞してくれた夫と、愉しき時を与えてくれた
ファントムと皆さまに感謝いたします。


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「オペラ座の怪人に惑う」30『クレア 1875年 柿落とし』

いよいよそのときがやってきた。
控え室のルイーズに会いにゆくと、彼女は挨拶もそこそこにそわそわし続け、
シャルルに何度も、髪の具合やドレスの襞の様子を点検してもらっている。

私はといえば、新・オペラ座バレエ学校の生徒たちに貴人たちには
疎そうのないよう申し渡した他は、羽目を外さない程度に
レッスン室で自由にさせてあった。
今日の主役は、このオペラ座そのもの。
シャルルと、そしてあの方がこの15年間、
心血を注いで造り上げてきた芸術の殿堂。

完成が迫ったひと月ほど前、亡くなったグスタフの娘が
バレエ学校に入ってきた。
私のパトロンであり、オペラ座財政にも多大の影響力を持つ
フィリップ・ド・シャニュイ伯爵は表立ってではないものの、
彼女の後ろ盾となってくれている。
グスタフとも親しく、最期を向えるためにオーステンドの別荘を提供し、
クリスティーヌの出生の秘密を知っている数少ない人物の一人だ。

もっとも、バレエ学校には、彼女のような貴人の御落胤ともいえる少女が
少なからずいて、私のメグもその中に入るともいえる。
いずれにしても、オペラ座の開場までに少女たちはすでにこの場所に親しみ、
寄宿生同士、どちらかといえば敵愾心に近い友情を育みつつある。
幸いというべきか、メグはクリスティーヌと気が合い、私は後見の一人としても、
母としての役目も、一段終えたような状態になり、
カリキュラムの整備に没頭することができた。

開場直前、私はフィリップを含めたごく選ばれた貴族たちを、
オペラ座の見どころある場所へ案内する役も仰せつかった。
エントランスの豪華さも、ボックス席の優美さも、舞台の近さと奥行きも、
どれもスノッブたちを満足させたが、最も彼らの興味をひいたのは
舞台の裏側だったかもしれない。
その夜の公演のための、幾多の仕掛け。
ワイヤーを使った宙乗りや、客席にまで飛ぶ噴水のプランなど、あの方が
こっそり舞台監督のノートに紛れ込ませたアイディアもある。
柿落としにふさわしい幻想をと。

「姉さん、本当は私より、この場にいるのはエリックがふさわしいんですよ。
彼なくしては、このオペラ座は決して完成はしなかった。
彼の精緻な技術、飽くことを知らない芸術への情熱、
私を鼓舞し、慰め、助け続けてくれた15年間は・・・。」
シャルルが感極まったように目を潤ませる。
「あの方は、わかっていらっしゃるわ。それに私たちの目には見えなくとも
あの方は、ちゃんといらっしゃる。
居並ぶ貴族たちのすぐ横に、舞台のそでに回廊のかげにね。」
そのとおりだ、クレア、シャルル。
「ほらね。」

設計者であるシャルルは下層の出身ということから
軽んじられ、用意された場所も末席に近いものだった。
それでも、いったん彼がルイーズを伴って客席に入ってゆくと
会場の誰もが、真の立役者が誰であるかを知っていて、
総立ちと大拍手で迎えられたのだった。
まさに彼にとって、勝利の夜。
それはあの方にとっても、オペラ座における再びの凱歌の時。
聞いていらして、この歓声を?

花火が打ち上げられ、お祭り騒ぎの始まった人ごみに紛れて、
私はそっと席をはずす。
あの方から時間になったら来るようにとのカードを受け取っていたからだ。
楽屋でひとりになると、お会いしてからの30余年の月日がゆらゆらと駆け巡る。

贈られたおびただしい花々の馥郁たる香りに頭をもたせかけ、
急に眩暈を感じて視界が利かなくなったと思った瞬間、私は
あの方の胸中に拉致されていた。
「待たせたね、クレア。では行こうか。新しきオペラ座の裏庭へ、
真の芸術の殿堂へ。
君をこそ、最初に案内しよう。」

真の勝利者の手に導かれ、私は心の中で嗚咽する。
あの方の言葉を抱き、このまま儚くなってもかまわない。


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「オペラ座の怪人に惑う」29『真実 1874年 エリック』

ジェイムズの持ってきたデッサンはなかなかよくできていた。
顔全てを覆うものと、上半面を隠すだけのもの。
額に浮かぶように走らせたケルト文字も気が利いている。
私は二、三のデッサンの狂いを直して紙片を返し、
自分の持っている仮面のひとつを渡し型を取るように指示した。
グスタフの分は昨夜取っておいたものを取り出して確認する。
デスマスクには気が早いが、これがかわりになるだろう。
素材をいくつか指定して、謝肉祭に間に合うように注文を出す。

「あの、ひとつ質問があるんですが。」
ジェイムズがおずおずと言った。
「だんなさまは、いつもその仮面をつけているんですか?」
「そうだ。」
声音がやや無愛想になる。
仮面のことを指摘されると、やはり心が波立つのを抑えられないが、
少年はかまわず嬉しげな応えを返してきた。
「よかった。僕もそうなんです。いえ、いつも身につけていたいんですけど
母に取り上げられることもあって。今日は大事なお客さまの家をお訪ねするからって。」
「それで?」
「僕が住みたいのは、誰もがいつも仮面をつけている場所なんです。
いいえ、僕には、いまでも誰もが仮面をつけているように見える。
人によっては、その姿が骸骨にもみえるんです。
この小さな町で、僕は周りにいる人も、周りにいるものも、全部そんな風に見えて。
絵にも描いてきました。
鏡を見るとき、仮面をつけていないと自分と気づかないくらいです。」

「君には、立派な顔があるだろう?」
「この顔なんか、なんの役にも立ちはしません。いいえ、そりゃいまはここにありますよ。
僕の骨に張りついてくれています。でも・・・。」
「いつも骸骨で遊んでいる君には、肉より骨の方が親しいというわけか。」
「この小さな町にいるからこそ、そんな風に思うのかと。
でも、あなたに海辺で出会った時、この世界全てが、そうなんじゃないかって。」
「・・・。」
「あなたはパリからやってきたそうですね。都会にゆけば、
あなたのような方がたくさんいらっしゃるんでしょうか?
その、単に仮面をつけているというだけでなく・・・。」
「嘘が本当になり、本当がもっと真実になる。
悪しきものも善人になり、善人はその偽りの皮を脱いで本当の姿に戻る世界。」
「ああ、そうなんです!」

「それは、君が実際にみて確かめるべきことだな。
私は人付き合いはあまりしていないのでね。これからはもっと・・・。」
「あなたに会うには、どうしたらいいんですか?その、パリにお戻りになってからは?」
「そんなことより、早く帰って仮面を仕上げてきたまえ。
出来映えによっては、パリに帰ってからも君に仕事を依頼するから。」
「わかりました。ええ、びっくりするほど素晴らしいものをお目にかけますよ。」

少年は意気揚揚と帰ってゆく。
まったくこの町は、寡黙なグスタフに雄弁さを与え、
年端もゆかぬ少年にまだ見なくてよいものまで見せてしまうものらしい。
なぜか、笑いがこみ上げてきた。
私は上機嫌になり、謝肉祭で使う音楽を五線譜に落し始める。
緋色と純白のローブを纏った二対の骸骨が、運命の輪の上で踊り始めた。


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「オペラ座の怪人に惑う」28『約束 エリック1874年』

「ああ、ジェラール、どこに行っていたんだ?」
「ちょっと用足しにね。ところで、君の天使はどこにいるんだ?」
「娘なら、懇意にしているシャニュイ伯爵家の別荘に。
私の調子が悪くなってから、あずかっていただいているんだ。
午後に一度、顔を見せにくるよ。」
「彼女はもう、10歳になるんだろう?君の世話をさせても・・・。」
「歌をね、歌わせているんだ。レッスンに差し支えるし、
私の肺病をうつしたくないんだよ。ああ、やってきたようだ。
ジェラール?どこへ行く?」
「彼女に会うのは、今はご免蒙らせていただくよ。この成りでは、
父上を連れにきた死神に見えるかもしれないからね。」

私はすぐ隣の部屋のドアから、父娘の様子を見ることにした。
娘はグスタフのベットに近づき、父親の顔色が悪くなっているのを
心配そうに覗き込んでいる。
ほっそりした体つきの、いつも夢見るような瞳をしていた
彼女の母親の幼い頃に、やはり似ているような気がする。
髪の色は、バイエルンの方だろうか。

「お父さま、お願い。あのお話を聞かせて。」
「君は、天使の話が大好きだね。」
「だって、だってもし、お父さまとお会いできなくなったら・・・。」
「そうだよ、クリスティーヌ。私がいなくなっても必ず、君のところに
音楽の天使がやってくる。君を歌の道に導くためにね。」
「どうやったら、お会いできるの?」
「君が、いつまでも天使のことを信じていれば。」
「ああ、もちろん信じるわ、お父様。天使はどんな様子をしているのかしら?
きっと、とても美しいわね。声も素晴らしいに違いないわ。
背がとても高くて、瞳の色は透き通るようなブルーで、髪は・・・。」
「クリスティーヌ、もしかすると、音楽の天使は
姿は見せてくれないかもしれないよ。
とても誇り高く、人間には近寄り難い存在だからね。」
「まあ。ではどうして天使がやってきたことがわかるの?」
「歌だよ。一度聞いたら、君にはそれが天使のものだと、きっとわかる。」
「はい。」
「じゃあ、クリスティーヌ、今日レッスンした歌を聴かせておくれ。」

娘はか細い声で歌い始めた。
まだ決して上手いとはいえない。
だが、このピッチの正確さはどうだろう。
歌が中盤に入るにつれ、彼女の声は少しずつ伸びやかになり、
高音域も無理なく出していることがわかった。
あきらかに、私がこれまで会ってきた少女たちとは違うようだ。
私は、久しぶりに胸が高鳴るのを覚える。

「どうだったかな、彼女の歌・・・。」
娘が帰ると、グスタフはドア越しの私に呼び掛けた。
「聴いていたんだろう?ジェラール。気に入ったかどうか、教えてくれ。」
真っ直ぐこちらを見る瞳が、私を捉えた。
「聞かなくても、親である君が一番よくわかっているだろう、彼女の才能は。」
「では、天使のオーディションには合格だね。」
「天使の?」
「そうだよ、ジェラール。シシーとの約束だろう?困った時は、いつでも助けにくると。」
「・・・。」
「僕はこの10年、その約束を果たし続けた。今度はジェラールの番だよ。」
グスタフは朗らかに笑った。

「ちょっと待ってくれ。クリスティーヌと過ごしたのは、
君が恋に殉じたからではなかったのか?」
「もちろん、そうだよ。恋する人とそっくりな少女が育ってゆくさまをみるのは、
愉しいことでもあり、息がつまるほど苦しいことでもあった。
決して手に入れられない親娘を、二代に渡って見つめ続けてきたのだもの。
だから次の10年は、君がこれを味わうべきだよ。」

「私は、恋などしたことはない。」
「ジェラール。賢いものほど、自分のことが見えないというのは本当だね。
いいかい。君には母親がいて、いつも恋しいと思っていただろう?
隠しても無駄だよ。
僕は君と、ひとつベッドに寝入ったことが何度もあるんだからね。
眠ると心にしている蓋がはずれてしまうんだよ。
シシーにそっくりな、君の母親にころあいの女性を描いているのも見ているし。」
「だから?」
「君がいままで、いろんな女性を渡り歩いているのは知っているよ。
だけどね、そういった男が本当に愛せるのは、聖母ただひとり。
そして母親の幻影を、完全に手放さない限り、幸せは決して訪れない。」
「・・・。」
「クリスティーヌは、きっと美しくなるよ。
今はまだなにも思わないかもしれないけれど、
きっと今に、君は恋に狂う。僕が妖精に殉じたようにね。」
「・・・。」
「一度、遊びではなく、完全に狂ってみたまえ。手の届かないものをそばに置き、
恋する苦しさを味わうんだ。
そうすればきっと、見るべきものが見えてくる。」

肺病特有の、赤みが刺した頬でグスタフは言い募り、すべてを言い終えると
寝入ってしまった。
私は取り残され、死の舞踏会について考えるどころではなくなってしまう。
恋、恋、恋など!


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「オペラ座の怪人」に惑う『薔薇の騎士~閑話休題15』

映画に登場する舞台・「イルムート」に似通うオペラに
「薔薇の騎士」という作品があるそう。
心ひかれる題名です。

【薔薇の騎士】
元帥の妻マリー・テレーズは、愛人・オクタヴィアン伯爵と一夜を過ごす。
翌朝、元帥が帰宅したと勘違いしたオクタヴィアンは、
小間使い・マリアンデルに変装したが、入ってきたのは
マリー・テレーズの親せき・オックス男爵。
彼は婚約者であるゾフィーに銀のバラを届けるべく、
「薔薇の騎士」への仲介をマリー・テレーズに依頼したところ、
彼女はマリアンデルがその「薔薇の騎士」と偽る。

オックス男爵は不粋な男で、婚約の日にもゾフィーに恥をかかせたので
彼女は「バラの騎士」に助けを求めるうちに、二人は互いに魅せられてゆく。

マリアンデルはオックス男爵に誘惑の手紙を出し、それに応じた男爵が
不埒な男であることをゾフィーとその親の前で暴いてしまう。
婚約を破棄したゾフィーと元の姿に戻ったオクタヴィアン伯爵が
惹かれ合う様子をみて、マリー・ルイーズも引き際を決め、
二人を祝福し、大団円。

爛熟期を迎えていた頃のパリ・オペラ座。
ファントムが要求したクリスティーヌにふさわしい役とは、
マリー・テレーズのような酸いも甘いも噛み分けた女性だったのかも。

☆もしこの「薔薇の騎士」が「イルムート」のモデルだったとしたら
この直後の屋上のシーン場面を考えても、ファントムにとっては
かなり皮肉な作品なのでは?


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「オペラ座の怪人」に惑う27『海岸 エリック 1874年』

クレアから、いよいよグスタフが危ういと聞き、私はオーステンドについた。
グレートブリテンと大陸がもっとも近づく港町。
放浪を続ける彼の妖精が、いま留まっているという土地に、
海を隔てても臨んでいたいのだろうか。

「グスタフ、ああ、静かに。そのままにしていてくれ。」
「ジェラール・・・、オペラ座の方は・・・、君がパリを離れてもいいのかい。」
すでに死相のあらわれた顔を持ち上げ、グスタフは再び力なく枕についた。
「工事はほとんど終了したよ。あとは内装を仕上げるばかりさ。
もっとも、私が居心地良くいられるように、
細工はいろいろ施さなくてはならないがね。」
「本気なんだね、新しいオペラ座に棲むっていうのは・・・。」
「そうだよ。音楽と美の殿堂であり、静かなる隠れ家でもある理想郷だ。
巨大な棺桶みたいなものでもあるな。」
「僕のものも、ぜひ君に作ってもらいたいな。」
「何を?」
「天使のラッパが鳴り響くまで、横たわりて、
しばしの静寂を味わう冷たき寝床をさ。」
「・・・心得たよ、グスタフ。では、私が地下に運び込むベッドと対で作ろう。」

半ば骸骨と会話しているような気持ちを抱えて、私は外に出て町をうろついた。
夏は避暑地として観光客で賑わうここも、いまは静かなものだ。
通りに連なる土産物屋には、たくさんの仮面が並んでいて、
そのどれもが、虚ろな面を見せている。
「謝肉祭がはじまるまではね、寂しいもんですよ。
ここいらの有名な仮装パーティを見に?
ええ、来週の終わりにね。『死んだ鼠の舞踏会』っていうんですけど。
その格好ならそのまま参加できますよ。」
「アンソール骨董品店」と看板が掲げられた店の女主人が、
私の姿をしげしげと見て言った。
死んだ鼠(ラモルト)の舞踏会?そいつはまた趣味のよい。
ゴーストからの、死にかけた男への手向けにふさわしい宴ではないか。

「いっそ骸骨は、売っていないのかな。」
「骸骨?お土産にでも?」
「いや。なければいいんだ。」
「ここにはいま置いていないけど、よかったら海岸においでなさい。
ちょうど、うちのジェームズがいますから。ここをまっすぐいって、そう。
何か描いてると思うから、つかまえて聞いてやってくださいよ。
喜んで見せてくれるでしょう。」

ジェームズとやらは、すぐに見つかった。
14.5歳の少年で、青い仮面を被り、一心不乱に筆を動かしている。
声をかける前に、画帳を覗いてみて驚いた。
船かカモメでもと思ったそこに、夥しいしゃれこうべが並んでいたのだ。
たしかな筆致で描かれたそのどれもが、様ざまな色かたちの仮面を被って、
こちらを見据えている。

「骸骨を見せてくれると、君のお母さんに店できいてきたのだが。
この絵のことだったのかな。」
少年は私の顔をみて何も言わずに立ち上がると、数歩進んで足元の砂を、
慣れた手つきで掘り始めた。
たちまち、ごろごろと人骨が出始め、しゃれこうべも数個、顔を出した。

200年前のスペインとの戦闘で、この町には何万人もの
犠牲が出たのだそうだ。
この文明の19世紀になっても、まだそのままにおかれていると。
少年は店にある仮面と海岸にある骸骨に、日々親しみ、
それらを写し取っているらしい。
もっと他にも、描くものはあるのだろうに。
この陽光の下であってさえ、導かれるものには逆らえないのだろう。

私は少年と店に戻り、女主人に骸骨の仮面の注文を出した。
「来週の舞踏会までに、至急頼む。できれば君の息子に、
作らせてやってくれるかな。」
少年の顔が輝き、私はデッサンをグスタフの住まいに届けるよう伝えた。
私も生きたる骸骨のようなもの。
どうせなら盛大に、仲間同士でグスタフを送ってやろう。


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「オペラ座の怪人」に惑う『赤い花~閑話休題その14』

「オーラの泉」という番組にYOUさんが出ていらしたのをご覧になった方は
いらっしゃるでしょうか?
彼女の前世は、オペラ座のバレエダンサーであり、高級娼婦だったそう。
胸を患って亡くなったというのも、椿姫的。
実際、現世でもYOUさんはバレリーナを目指していたそうですが、
プリマになれないことに小学校のときに気づいてしまったと。
パリが大好きで、オペラ座に行くと懐かしい思いを抱くのだとか。

美輪さまの19世紀のバレエダンサー、オペラ座、高級娼婦の説明、
映画とオーバーラップさせると興味深いものがあります。
「(プリマを張るには)非常に強靭な肉体を持って生まれなくてはならない。
トゥで立ち、舞い、体の全てを腰や首で全部支えるわけで、
プリマの肩凝りなど、死の苦しみ。
修道院どころか、刑務所にいるようなもの。」

「(現在の芸術的バレエとは違い、当時は見世物的で半分ストリッパーに
近い扱い。江原氏談)欧州全体がそうだった。」

「当時のオペラ座は社交場。
ただオペラを観に行く劇場ではなく、貴族やお金持ちや権力者たちが、
妻と娘と一緒に愛人を着飾らせて公然と連れてゆき、周囲に自慢する場所。
有名な『椿姫』など、高級娼婦で恋人にすればステータス。
オペラなんかどうでもよくて、顔見せやスポンサーを見つけるところ。」

クリスティーヌが最初に踊っていたときの衣装も、
かなり肌が露出していましたね。
歌に関しても才能があった彼女。
非常に厳しいメンターであるファントムの束縛という修道院から逃れ、
彼女は陽の光のもとに行くことになるのですが、
オペラ座にプリマとして生きるなら、修道院もしくは
刑務所的生活と努力は必須。
やはりファントムのもとにいた方がプリマとしては正解だったのではないかと、
改めて思います。

また、新しい支配人・アンドレとフィルマンがきたとき、クリスティーヌの
同僚のダンサーは、彼らがお金持ちと見るや、すぐさま取り入って
愛人になろうとしていましたね。
それが、次の舞台の出番を多くする早道でもあり、
引退後の安楽のためでもある。
プリマ・カルロッタもきっとたくさんのスポンサー兼愛人に
支えられていたことでしょう。

それが、当時の常識。

さて、そんな19世紀の風俗を模したお遊びを現代でもいかがでしょう?
オペラ座に毎夜通ったという椿姫は、一ヶ月のうち25日間は白い椿を、
あとの5日間は赤い椿を胸に飾ったそう。

映画館へお越しになるとき、ファンの皆さまはその証しとして
赤薔薇など身につけておいでになっては?
意味深に、赤薔薇一本抱えている方が、映画館で集い、街を歩き、
目が合った時は、そっと人指し指を唇に持ってゆく。

その際は、黒いリボンもどうぞ忘れずに from O.G


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「オペラ座の怪人」に惑う26『神供 ルイーズ 1871年』

建築途中の新オペラ座が、パリ・コミューンに封鎖されてひと月。
シャルルは心労のため、寝込んでしまっています。
建築現場に入り浸りで、たまの閑暇があってもややもすれば、
このアパルトマンよりも実家の父のもとに行ってしまう夫が
落ち着いたのを、かえってほっとする思いで迎えてはいたのでした。

「占拠された建物は、内部はバスティーユさながらの要塞と化し、
日毎夜毎、阿鼻叫喚が繰り広げられてるらしい。」
厳戒態勢のパリの町を、闇に紛れ潜り抜けて訪ねてきてくださったあの方は
どちらかといえば浮き浮きと、シャルルに報告なさいました。

「なんということだ。君と私が心血を注いだ殿堂が、
芸術の何もわからぬ暴徒達の根城になるなど。」
「確かに、君の作ったオペラ座は、要塞にふさわしい装備を備えてはいるよ。
楽屋とレッスン室のために仕切られた柱は、即、牢獄になるし、
ロープを蓄えた綱元は、ハンキングにはもってこいだ。
地下には水責めと逃亡にぴったりの水路まであるのだからね。
暴徒たちも、なかなか目が高い。」
「なんだか嬉しそうだな、エリック。」
「シャルル。いにしえのギリシア、エジプトを振り返ってみても、
神性なる巨大建築物には大なり小なり、犠牲が必要とされてきた。
それは人足たちの事故による落命であったり、
シャーマンの神託と称した生贄であったり。
私が携わった日本の河川の工事でも、自ら進んで殉死した人々がいたそうだ。
ましてや、花の都に建つ美と芸術の神殿に、
いくらかの供物が捧げられてもいたしかたないだろう。」
「芸術の神が、犠牲を求めたというのか。」
「そうとでも考えなければ、君の神性な作品に申し訳がないだろう。
たとえ血塗られてしまったとしても、かの殿堂は
処女マリアの如くいささかの穢れもない。
まあとにかく、バスティーユが落ちてからというものここ100年、
パリジャンはこういった騒ぎがお好みらしいが、そう長く続くこともないだろう。
封鎖が解かれたときのことを考えて、建材調達ルートでも押さえておくさ。」

シャルルの部屋をでて、あの方がそっと居間に入っていらっしゃいました。
「ご夫君はお疲れのようだ。グラス一杯のワインで眠ってしまったよ。」
「まあジェラールさん、またシャルルに何か盛ったのでしょう?」
「彼には神経が安息が必要だからね。大丈夫、毒ではないよ。
だが明日の昼まで静かにしているだろう。」
「安息だなんて、あなたがおっしゃることではありませんわね。」
「違いない。だがもちろん、細君である君にも言えたセリフではないだろう?」
こちらへおいでと視線でおっしゃるのに、抗う術は私にはないのでした。

「そういえば、姉はいま、グスタフ先生のところにいますわ。」
あの方の膝の上で、私はふと思い出したことを口にしました。
「クレアを行かせたのは私だよ。彼も寝込んでいるらしくてね。
今度は危ないかもしれないな。」
「何か重い病だとか。」
「不治の病さ、私たちが一緒にいた頃からの。
ルイーズお嬢さんは知っているかな?恋患いってやつを。」
「もちろん存じ上げておりますわ。よき導き手がいらっしゃいまして。」
「ぜひ、一度その師匠をご紹介願いたいね・・・。とにかく、
どうも彼のメランコリックなところは、その病でさらに増幅されているらしい。
もともと想像力豊かで、夢とうつつの間を彷徨っているところがあったが。
薬もなしに断崖から海に飛び込もうとするなど、考えられない。」
「まあ、グスタフ先生が。ジェラールさんは足をお運びにならなくても?」
「君こそ、彼に会いにゆくべきだろう?
物心ついたときから馴染んでいたのだから。
ああそうか、彼は音楽の師のみならず、恋の道でも・・・。」
「それは、どなたのことをおっしゃっていますの?それに、
グスタフ先生を私に就けたのも、いったいとちらの方でしたかしら?」
「彼には私の大事な赤ん坊に、こんなことまで教えよとは
いわなかったのだがね・・・。」

いつまでも戯れを続けるあの方。
私がすでに、暴徒たち以上の火薬を抱えていると告げたら、
いったいどんなお顔をなさるかしら?
愉しみだこと。


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「オペラ座の怪人」に惑う『DVD鑑賞&パリ・オペラ座バレエ団~閑話休題その13』

映画館での上映が一段落したとき、DVD日本語版の完成が待ちきれず、
リージョン2のUK版を注文。パソコンにて大好きなシーンを鑑賞し、
英語字幕でファントムと御一緒に歌える愉しき日々を過ごしておりました。
画面が小さいので、ややカラオケのようではありますけれど。

あるとき、共にファントムジプシーをしている友人宅で上映会。
お手製のアボガド&シュリンプのオープンサンドとシナモンティを頂きつつ
映画館ではできないコメントを放ちながらの、至福の時間を。

「椿姫」好きな友人は、ラウルにアルマンが重なると。
田舎の貴族、若くて苦労知らずな、愛する女性の本当の苦悩に
なかなか気づかないところなど。
時代も舞台も19世紀のパリ・オペラ座。

「もっと線の細い役者だったらいいのに。キャラがかぶるのよ。」
「どうして、どうしてそんなにすぐポカン口なの?」
「そんなに早く馬を走らせたら、すぐに追いついてしまうはずよ。
道に迷っていたの?」
「唇についた雪が、次のシーンでも溶けていないのね。」
「パリの冬に、そんなに肌を見せていたら、のどを痛めるわよ。」
「愛する人をおとりにするなんて・・・。」
「このシーン、長嶋さんみたいにお髭伸びてる。
待ち時間が長かったに違いないわ。」
「ここは、もっと恐れとためらいの演技じゃなきゃ。
仲良く踊っている場合じゃないのよ。」
なかなか辛口です。

ファントム鑑賞のあと、パリ・オペラ座バレエ団のダンサーたちの
ドキュメンタリーを見ます。
オペラ座バレエ団に入ることは、ダンサーたちの憧れ。
いくつもの演目を同時にこなし、モダンとクラッシックを交互に演じ、
互いを切磋琢磨する様子。
14歳の少女たちが、バーの前に並ぶドガのような練習風景。
ガルニエの重厚な箱の中で、最高の芸術品に囲まれながら練習する
オペラ座の住人たち。

「オペラ座に入れば、ずっとここに籠もることになるのよね。
本当は私、修道女になりたかったの。
そうなるには性格がオープンすぎたのだけれど。
ダンサーになってわかったわ。
私は単に籠もることが好きなのではなく、
ストイックに、全てを捧げる仕事につきたかったのよ。」
「確かに、ダンサーは精進が大切よ。夜遊びなんてとんでもないこと。
でもね、全てを賭けてあまりある至福を得ることができるの。」
「確かに私はエトワール(最高の地位)にはなれなかったわ。
それでも、ここにいると生きているって感じがするのよ。」

19世紀のオペラ座の住民の感覚も、きっとこんな風。
彼らの言葉を聞き、クリスティーヌがファントムを選ばなかったことを
「理解できない。」とおっしゃる四季のファントム役者がいるのも道理と。
(今月号の四季機関紙「ラ・アルプ」、この方の大きな記事が載っています。)

今は全国各地で「オペラ座の怪人」「Dearフランキー」の上映が復活しています。
もしお近くなら、ぜひ足をお運びになって、大画面でお楽しみくださいね。

☆メイキングでみた素顔のブーケ、なかなかハンサムさんなことを発見。☆


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「オペラ座の怪人」に惑う25『妖精 グスタフ 1870年』

『・・・さあそこで現れたのが三人の魔女。
名をターヴァ、ティパ、アカフと言う。
それぞれ、風と火と水を操り、猫とゴーストを友とする。
聖者マリフィックが用意した、とこしえの若さに導くドラゴラの根を
差し出すと、魔女たちは奇声をあげて喜んだ。』

古い物語に、二人は息を飲んで聴き入っている。
私が祖母から、そして祖母はまたその母から伝えてもらったという伝説。
それはまた、話す者によって微妙に脚色が加えられ、枝葉をのばし、
虹彩と陰影を加えてゆく。
この海岸のさざ波は、目の前の子どもたちの、
そして私の想像力をかき立ててくれる。

『・・・聖者が目指すものは、ただひとつ。まことの愛。
王女ハーニスに捧げるために、彼は巨人とも悪霊とも戦う勇気を持っている。』

「僕も、クリスティーヌを守りたいな。」
少女のかたわらで、育ちのよい顔をやや引き締めて少年が言う。
「ラウル、いい子だ。だけど、君はどうやって彼女を守るつもりかな?」
「マリフィックが王女を守ったみたいに・・・。」
「さあどうだろう。彼女はどちらかというと王女というよりも妖精だ。
美しい声で歌い、舟人を惑わせる。
本人はだた愉しく歌っているだけなのにね。」

「お父さま、その妖精のお話を聞かせて。」
「いいとも、クリスティーヌ、よくお聞き。」

『一艘の、黒い小さな舟が水面に浮かんでいた。
その上に座っているのは白い妖精。
妖精は自分がどこから流れてきたのか知らず、その先を知ろうともせず、
ただ霧の中を漂っていた。小さな声で、愉しげに歌いながら。

ふと気がつくと、舟の端に櫂を捧げもってたたずんでいる影がある。
霧の中ゆえ姿はよく見えないが、黒い衣を纏った背の高い男のようだ。
「お前の歌を聴きに来た。どうか歌っておくれ。」

突然の男の出現とその頼みに妖精は驚いたが、
もとより歌が好きなもののこと、妙なる声で歌い始めた。
「素晴らしい。だが、もっと美しく歌うこともできるだろう。」
男の言葉に、妖精はさらに伸びやかに声を響かせた。
「これは見事。だが、もっともっと麗しく歌うこともできるだろう。」
男の言葉に、妖精は力の限りの声を張り上げた。
「なんと目覚しい。だが、もっともっとより一層艶麗に歌うこともできるだろう。」

妖精は男の尽きぬ期待に応え続けた。
やがて霧は晴れ、妖精は自分が今どこにいるかを悟った。
男の姿は消え、ただ櫂ばかりが残っていた。』

「お父さま、そろそろ歌のレッスンの時間だわ。」
「そうだね。ラウル、遊ぶのはまた明日に。」
「わかりました。じゃあさよなら、僕の妖精。」
「さよなら、ラウル。」

僕の妖精か。
この動乱のさなか、彷徨い続ける美しきかの女性、私のローレライは
いまいったい何処にいるのだろう。


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「オペラ座の怪人」に惑う『受胎告知~閑話休題 その12』

オペラ座の怪人のパスティーシュ、「マンハッタンの怪人」と「ファントム」の
内容に触れますのでご容赦を。

フォーサイスとスーザン・ケイは、ともに作品の中でクリスティーヌに
ファントムの息子を宿らせています。

「血の繋がった子孫を残す」ことそのものがサバイバルと言われる文化では
ファントムの豊かな資質は残されてしかるべき、という思いが
二人の作家には強かったのでしょうか。

映画では、ファントムが二回目にクリスティーヌを地下に連れてきたとき
次のセリフを言ってベールを被せます。

This face, which earned a mother’s fear and loathing.
A mask, my first unfeeling scrap of clothing.

"Down Once More/Track Down This Murderer”

「母までもが恐れ、忌み嫌ったこの顔
 仮面という 私が最初に纏った惨めな被服」
 
母に拒否されたファントムが黒い舞台衣装から花嫁衣裳に着替えた
クリスティーヌに被らせるベール。
彼女にとってはこのベールこそ、unfeelingなものに感じられたとみえ、
すぐに頭から取り除けていましたけれど。

生きた聖母像を完成させるためにファントムがクリスティーヌに
ベールを被せたのなら、このシーンは受胎告知とも言えるのではないかと。

大天使ガブリエルが、処女マリアにキリストの受胎を告げる、
福音書の有名な場面。
別名「復讐の天使」「死の天使」「真理の天使」とも言われ、
ローマを滅ぼすという神の命を履行しなかったため、堕天使として
天界から追放されたこともある大天使ガブリエル。

美しきものを愛で、地下に住まうファントムのイメージと、
それほどかけ離れていないでしょう?

クリスティーヌがファントムに対した言葉、

Angel of Music!
Guide and guardian!
Grant to me your glory!

“Angel of Music”

こちらなど、angelの役割をもってすれば、非常に意味深になり得ます。

That fate, which condemns me to wallow in blood
Has also denied me the joys of the flesh . . .
This face, the infection which poisons our love . . .

"Down Once More/Track Down This Murderer”

「血に溺れるように宣告された運命の私には
 肉体の喜びなど無縁のもの。」
 
ミュージカルの舞台にヒントを得て書かれたという二作品と
このファントムのセリフとの矛盾も、処女受胎の考えからいけば
納得できるということでしょうか。

オペラ座の怪人の詩に見てとれる宗教用語やモチーフは、
二人のキリスト教圏の作家のイマジネーションを聖母子像へと
向かわせたのかもしれません。


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「オペラ座の怪人」に惑う24『降臨 クレア 1864年』

その年も暮れようとする頃、私はバイエルンにほど近い山荘に向かっていた。
メグも大きくなってきて、子守りがいれば母親がいなくても何日かは
過ごせるようになっているが、なるべく早く戻らねばならない。
グスタフの、そしてあの方からのたっての頼みでなければ、
心残りをパリにおいての道行きなど、とてもできなかったかったと思う。

新しいオペラ座の建築の合間を縫って、
あの方は再び私のもとを訪れてくださるようになっていた。
ルイーズの結婚やメグの誕生は、私が知らせるより先に父から伝えられていて
およそ二年ぶりの対面も、表向きは淡々としたもの。
メグを初めてご覧になったときも「君に良く似ているようだね。」と
静かにおっしゃるだけだった。

シャルルとルイーズのもとへ行くのと同じ程度に、
あの方は我が家にもいらっしゃる。
男性二人が連れ立ってきて、父と話をしてゆくこともしばしば。
オペラ座の建築は難工事で、礎石を積む前に地下水を
掘り当ててしまったのを皮切りに、次から次へと問題が起っているようだった。
あの方がいなければ、シャルルはこの工事に携わることを
放棄してしまったかもしれない。

グスタフからあの方への連絡は、ちょうど2日前に届いた。
エリザベートさまの容態が思わしくなく、とにかく火急に来て欲しいとのこと。
ご自身で向かわれたいのはやまやまだったのだけれど、とにかく今はパリから、
というよりはシャルルのもとから離れることはできない。
地下水はまだどんどん染み出ている状態で、
護岸工事をされたこともあるあの方の技術は、どうしても必要なのだ。

「君が行ってくれるのなら、心強い。」
「私でお役に立てるのでしょうか。」
「一番重大な局面は、すんでしまっているらしい。君にはこの調合薬を届け、
あずかりものを受け取ってきて欲しいのだ。
誰にでも任せるられることではない。極秘中の極秘のことだから。」
あの方の言葉に抗う術など、あろうはずがない。
道中の供にする女性をひとりつけられ、私は馬車で出発した。

エリザベートさまは、確かに衰弱しておられるように拝察した。
婚家の王宮でお暮らしになることを好まれず、王妃となられてからも、
気ままに諸国を旅しておられると聞いていたけれど。
あの方からの薬を世話係に預けたあと、私はグスタフから事情を聞く。
彼はずっと、エリザベートさまのおそば去らずの楽人として過ごしていたらしい。

ご容態が思わしくないのはつまり、産後の肥立ちが
良くなくていらっしゃるのだということ。
ご実家か婚家から医師をお呼びになれないのは、
要するにどなたにもお知らせしがたい、
予期せぬご出産だったということ。
あの方が私の母の容態を持ち直させたという話を思い出し、
早急にそのときに使った薬の処方と、ある依頼をしたということ。

「その依頼というのは・・・」
「わかりましたわ。そのお子さまを、しばらくお預かりするということですのね。」
供まで、しかもなぜ女性がつけられたのかが、ようやくわかる。
グスタフはエリザベートさまの容態が持ち直したら、北欧に戻って住居を整え、
状況が整い次第、お子さまを迎えにあがると続けた。
放浪を続けていた彼が、子どもを育てるために落ち着くと言うのだ、
エリザベートさまのために。
「相手も非常に高貴なお方だから・・・。」
「心してお世話いたしますわ。お子様のお名前は、なんとおっしゃいますの?」

キリストの祝福を受けたお姫さま。
彼女が天使の角笛までも携えてきたなんて。
生い立った後に、彼女がオペラ座を揺るがす事件のヒロインになるとは
そのとき、誰が予想しただろう。


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「オペラ座の怪人」に惑う・『シャーマンとしてのファントム ~閑話休題11』

スーザン・ケイの「ファントム」、お読みになった方はいらっしゃるでしょうか?
原作を丁寧に裏打ちし、ファントムの生い立ちから
クリスティーヌとの別れまでを描いています。

醜悪な容貌のため、母の愛を受けられなかった彼が何度か出会う
心ひかれる女性にことごとく拒否されてゆく。
彼が善悪の区別がつかず、人を簡単にあやめるのも、欲求不満からくる
一種のヒステリーといっていいでしょう。
抑え難い情動を保ち、仮面の下に官能をたたえてゆくさまは、
禁欲的な修行僧のよう。

ミュージカルや小説ではファントムは40-50代の設定。
さらに原作や「ファントム」ではクリスティーヌと別れたあと
すぐ亡くなってしまいます。

映画でのジェラルド・ファントムは30代。
仮面をとっても許される人間的容貌の上、
ラウルのウィルソンとも実年齢がほぼ同じ。
ゆえにクリスティーヌがラウルを選んだことに何故?と思われる向きも
多かった模様。

これが死期の近い、人間離れした容貌のファントムならば
クリスティーヌを手放すのも、ラウルをクリスティーヌが選んだのも、
もっと納得しやすくなるでしょう。
ただしその設定では、これほどまでに惑う方々は
いなかったと思われますけれど。

さて、スーザン・ケイの小説には実家を飛び出したファントムがジプシーと
放浪しているときに、薬草の知識を身に付けた、という描写があります。

知識を洗練させ、学んだものよりさらに効果のある薬を作ったと。
煎じ薬を入れた「小ビン」で、何人かの人々を救ったという魔術師・ファントム。
その処方が知りたくて、夢にまで出てきそうです。
いったいどこまで傾倒させる気なのでしょうか。

ファントムもハーブとの正しい関係を保ち続けていたら、もっと早く
平安を手に入れることができたでしょう。
痛み止めや若返り水、媚薬などを求めて人々が引きも切らずやってきて
皆に安らぎを与え、受け入れられたはず。
仮面やマントもそういった役回りならやがて許されたことでしょう。
「ショコラ」のヒロインのように。

人心を騒がせるマジシャンではなく、彼が求めていたものと同じものを与える
シャーマンかメディカルマンとして生きていたらと、残念でならないのです。

☆「ショコラ」のジョニー・デップはエクセレントですね。


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「オペラ座の怪人」に惑う・『Kissの威力~閑話休題 その10』

Kissは霊感を与え、人を生き還らせ、愛を気づかせるもの。
(子宮と卵巣の経絡もございますので、美しくなるにはまずkissを。)

黒い衣装から白い花嫁衣裳に着替えたクリスティーヌに指輪を握らせ、
仮面を与えた母を責めながらベールをかぶせるファントム。
神に背きつつ、聖母に擬した装いを。
母なきファントムは聖母の姿をクリスティーヌに求めているのでしょう。

けれどこの行動は、自分を虐げ続けた人々がしたのと同じことを
愛しているはずの者にもほどこしてしまう悲しみの連鎖。
クリスティーヌはすぐにベールを外し、さとします。

Christine:
This haunted face holds no horror for me now
It’s in your soul that the true distortion lies

“Down Once More/Track Down This Murderer”

「悪夢のようによじれた顔も もう私には恐くないわ。
 本当に歪んでいるものは あなたの魂に巣食っているのよ。」

この言葉を受けても、やってきたラウルの首に縄をかけ、
闇で共に生きることをクリスティーヌに迫るファントムは
旧約聖書にある十戒を、これでもかと破っているかのよう。

私以外のなにものも神としてはならない。
偶像をつくってはならない。
主の名をみだりにとなえてはならない。
週に一度は休日としなさい。
父母を敬いなさい。
何をも殺してはならない。
姦淫してはならない。
盗みをはたらいてはならない。
隣人のことを偽証してはならない。
他人の物を我が物顔で扱ってはならない。

不完全なものが人間。
知らぬ間に犯している罪を明文化したのが十戒。
自分が絶対で、完全であるようにふるまうのは神に反することなのだそう。

全ては天から与えられたものと常に意識し、それぞれの才能をより高め、
人々にシェアすることが人間のつとめ。
日々の生活も、欲望も、身のうち心のうちに起こること全てを認め、
味わいつくすこと。

ジーザスは娼婦であったマグダラのマリアをそばに置いたとされます。
香油を塗るなど献身につとめ、すべてを看取り、復活を見届けた
マグダラのマリアは、聖母マリアにも通じる母性の象徴。

陽の光も、blood&fleshたる人間の情動も、醜さは誰もが持つということにも
目を背け続けたファントム。
彼を最後に動かしたのは、ベールをいったんは拒否したクリスティーヌの行動。

Christine:
Pitiful creature of darkness,
What kind of life have you known?
God give me courage to show you,
You are not alone...
(Kisses Phantom)

 “Down Once More/Track Down This Murderer”

「闇に生きる哀れな創造物、
 人生の何を あなたは知っていると言うの?
 神はあなたに教える勇気を 私にくださったわ。
 あなたは ひとりではないのよ。」

地獄を見、地獄を生きたものをも含めて、神は人間を救い給う。

血も肉も、両方通っての愛。
ファントムの全てを受け入れたマダム・ジリーの教え子、クリスティーヌは
kissというもっとも血を通わせた肉を持って愛を示しました。

自らを省みぬ血の通った献身を受け、初めてファントムは
彼女を手放すことができたのでしょう。

☆初めて、ジェラルド・バトラー出演「ドラキュリア」を鑑賞したときは、
先日書いた日記「オペラ座の怪人9」とのあまりのシンクロに驚き、
何故、彼が選ばれたかもよくわかったような気がしました。
ジェラルド・ファントムに惑われた方、よろしかったらご覧下さいね。


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「オペラ座の怪人」に惑う23・『再会 ルイーズ 1861年』 [二人のマダム・ジリー]

彼に再会したのは1861年、ちょうどシャルルが
オペラ座の設計コンペに優勝した年でした。
「あまりぶしつけな手紙をよこしたから、かえって会う気になったんだ。」
なんでも、莫大な資金提供をするかわりに、たぐいまれな才能を持つ
自分の趣向を生かせるよう現場に出入させて欲しい、
つまり請負業者になりたいという人物がいるらしいとのこと。

シャルルはオペラ座建設を任されたことで、下層階級から
ようやく上流にのし上がれると踏んで意気軒昂。
ずっと年下で15になるのを待ってようやく結婚できた私との生活を
より向上させたいという気負いもあるところへの彼の申し出は、
少し気短かな夫にとって、プライドと欲望とを
激しく闘わせるものだったのかもしれません。
「今晩、このアパルトマンにやってくるから。」
サンジェルマン通りにようやくかまえた我が家の第一番目の客人は
いったいどんな人かしら、家を整えること、妻としての役割を果すことに
夢中だった私の方は、そんな軽い気持ちだったんです。

やってきた客人は、黒いマントを身にまとい、シルクハットに
顔半分を覆う白い仮面といういでたち。
物腰はあくまで上品で、玄関に出迎えた私に恭しく一礼して、
夫への案内を乞いました。
その声を聞いて、私はようやく思い出したんです。
客人が、かつての師匠だということに。
すぐに気がつけなかったなんて、私はお馬鹿さんだったんでしょう!
あっと驚き高ぶる気持ちをようやく抑えて、彼のシルクハットを受け取り、
半ば夢み心地で夫の書斎に客人をつれてゆきました。

二人が挨拶を交わし改めて妻として紹介され、
差し出された手を握りしめたあとは、全身がかすかに震えるのを
止めることができず、飲み物の用意をしながらカップひとつ
大きな音をたてて落してしまい、夫が心配してやってくるほどでした。

「・・・あなたには、快適な暮らしをしていただこうと考えているんですよ。
若い奥さまとの家庭のために、素晴らしい住み処を作ってみたいという
ご希望もあるでしょう?」
狭いアパルトマンの小さな書斎で話す二人の会話は、すべて耳に入ってきます。
彼の声の、あいかわらず美しいこと。
中下層の出身とはいえ、彼のおかげで音楽の手ほどきを
受けることのできた私は、いままで聴いたどの歌手や師のどれよりも
芸術的な抑揚を彼の発する響きに、改めて確認したんです。

うっとりとその声に聴き惚れながら、交渉がうまくいって欲しいと願いました。
あの声を、どこか懐かしいあの声をずっと聴けるものなら。
夫ははじめ、彼の言葉に懐疑的でしたけれど、あることに気づいて
心の垣根を取り払うことになったようです。
「彼は、エリックだ。8歳でこの設計図を描きあげた天才がいると、
美術学校で老教授から聞かされたとき、
どんなにショックで、そして感動したか。
彼に出会えるなんて、彼が設計コンペに応募しなかったなんて、
私はなんと幸運なんだろう。お前も本当に幸せものだよ。」
客人と和やかに別れたあと、夫は感に堪えないように私に告げたのです。
本当にそのとおりね、シャルル。
これからは足繁く訪ねてくださることを願い、玄関にたたずんでいると
ドアが再びコツコツと鳴りました。

「これをお渡しするのを忘れていました。奥さまに。」
黒い皮手袋に包まれた大きな手で、おずおずと差し出される
タータンチェック柄のチョコレートの箱。
初めてお会いしたときと同じ。
まだ、私を子ども扱いしていらっしゃるのかしら、それとも・・・。
「ジェラールさん、あの・・・。」
言葉を続けようとすると、静かに、というように、
彼は人指し指を口もとへもってゆきました。
あいかわらず、なんという瞳の色。
仮面に隠された吸い込まれるようなその力に、
かつても幻惑されたことが蘇ります。
いまは、何も話すなということなのですね、
いいわ、今後はいつでもお会いできるのですもの。

ガス灯に浮かぶマントと仮面が、今度こそパリの街闇に消えていきました。


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「オペラ座の怪人」に惑う・「パンとワインと愛~閑話休題その9~」

ロック歌唱のファントムはALWの出世作・
「ジーザス・クライスト・スーパースター」を思い起こさせます。

「ジイザアァァース!」と切なげにロック歌唱で叫ぶユダ。
愛を独占したがる姿に、何故か「ベニスの商人」の、アントーニオの
flesh・1ポンドを欲しがったシャイロックの姿が重なりました。

友人のバッサーニォーの代わりにユダヤ人・シャイロックから
3000ダカットを借りる商人・アントーニォ。
担保に身体の肉1ポンドをと言われ、気軽に承諾するも、
全財産を積んだ船が難破。
裁判となり、いよいよシャイロックの刃がアントーニォに向かった時、
裁判官(実はバッサ-ニォの妻・ポーシャ)の声が飛ぶ。

Cut your flesh, but spill no blood, then.

“Cinna’s Easy Plays from Shakespeare  
       THE MERCHANT OF VENICE”

「肉を切りなさい、ただし、血は流すな。」

就学前に読んでいた「ベニスの商人」に高校の英語の授業で再び出あったとき、
fleshにやたらにこだわるシャイロックが
実はアントーニオを愛していたという演出もあり得るかも、と思っていたのです。

お金の担保にfleshを求めるシャイロック、
本当はアントーニォ(または彼が属する世界)への憧れ、
愛が欲しいのではないかと。
ジーザスを売ったユダも、欲しいのはお金ではなく愛。
それはより、肉欲に近いものではなかったかと。

flesh&bloodで人間と聖書に訳されているそう。
また最後の晩餐においてジーザスはパンを自分の肉とし、
ワインを自分の血として与えています。

bloodとfleshという言葉、「オペラ座の怪人」にも出てきますね。
Christine:
Have you gorged yourself at last
in your lust for blood?
Am I now to be prey
to your lust for flesh?

Phantom:
That fate, which condemns me to wallow in blood
Has also denied me the joys of the flesh . . .
This face, the infection which poisons our love . . .

"Down Once More/Track Down This Murderer”

「あなたの血への欲望はついに満たされたの?
 私はこれからあなたの肉欲の犠牲になるの?

 血に溺れるように宣告された運命の私には
 肉体の喜びなど無縁のもの。
 この顔はそなたとの愛を蝕む病。」

このセリフ、ユダやシャイロックと比べてみても興味深いと思います。

fleshとblood、両方揃っての、神に愛されるべき人間。
血を流させているファントムは、
すでにシャイロックやユダと同じ位置に堕している。

またfleshはパン、日常を形作るもの。
bloodであるワインは、精神を高揚させ、日常を豊かに彩るもの、
アートに似ています。

人はパンのみにては生きられない、ワインが生きる喜びを与えなければ。
ただ、ワインに浸って生きていたようなファントムには、陽の光と同じく、
パンを意味するfleshなどまぶしすぎる。

けれど本当に求めているのはbloodとfleshの先の届かぬ愛。
やはり哀しきドラキュリア。
魅入られた方は知らず知らずのうちに、
彼のワインを飲み干していたのかもしれませんよ。

そんなファントムの映し身、ALWヒットの前身たる作品、
機会があればどうぞご覧になってみてくださいね。

☆「ヴェニスの商人」の映画もアル・パチーノ主演で、10/29公開です。


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「オペラ座の怪人」に惑う22・『娘 クレア 1860年』

あの方への連絡をここ半年ほど、私はあえて取ろうとしていなかった。
貴族やお金持ちたちへの、趣味の良い邸宅の建築をいくつか手がけられて
気が紛れていらっしゃるということもある。
何か心を奪われるものさえあれば、
あの方が阿片やモルヒネに耽溺することもないのだもの。

いいえ本当は、命を授かったことを、どうしてもあの方にお伝えできなかった。
私があの方以外の対象に、気持ちを少しでも分けることを
許していただけるだろうかという危惧と、
一方で、今度こそあの方の心を完全に捉えるかもしれない
天使の候補に会えるという期待。
どちらにしても、身ふたつになって心を落ち着けてから
お話申し上げようと思っていたのが
大事な情報をお伝えする機会を逃すことになってしまったのだ。

あの方は、おそらくご存知ないだろう。
巷の情報はほとんど気にかけない方で、私やエリザベートさま、
グスタフからの手紙が、世間への窓なのだから。
ジュールもベルギーであの方のそばにいて
わざわざパリの新聞を取り寄せているとは思えず、
この情報をお伝えしているとは考えにくい。
何より、一次審査、二次審査と絞られ、新聞に載せられる候補者の中に
あの方らしき名前はなかった。

「お前があのとき嘆いていたのは、コンペのことを
エリックに知らせてやれなかったからだろう?」
マーガレットが生まれて三月になり、
そろそろオペラ座に戻る準備を始めていたころ、
父が尋ねた。
「ええ」
私は努めて、淡々と応える。

「確かにエリックなら、シャルルよりもいい作品が描けたかもしれない。
彼のデッサンや構成力、そして創造力はそれは素晴らしいものだった。」
「あのときは、取り乱してしまって申し訳ございません。」
「いや。エリックの才能に惚れ込んでいるお前だ。ああなるのも道理だし、
恩のある私がそのことを考えつかなかったことこそ、すまなかったと思う。
・・・ところで、エリックはいまどこにいるんだね?」
「はっきりとは存じませんの。大きなお仕事のご契約をいくつかされて
居場所を転々としていらっしゃるようで。」
「そうか。マーガレットのことは知らせなくていいのかい?」
「あの方には関係ありませんもの。」
どうしても語気が強くなってしまいそうになるのを、懸命に抑えた。

「なぜそう頑なになるんだね。ルイーズの結婚のことも
伝えた方がいいのだろう?お前のことも当然・・・。」
「お忙しい方ですもの。今度、パリにいらしたときでかまわないと存じますわ。」
私の声の調子に、父はいぶかしさを募らせたようだった。
「クレア。前にも尋ねたが、もう一度聞くよ。
マーガレットの父親は、本当にあの子爵なんだね?」
「ええ、お父さま。」
「・・・。」
「ごめん遊ばせ、メグが泣いているようですので、失礼させていただきますわ。」

部屋のドアを閉め、メグのしっとりと重たい体を抱きしめる。
私が幼いころと同じ赤い巻き髪、きっと濃い金褐色になるに違いない。
茶色の瞳も、私とよく似ている。
何もかも、少なくとも外見は全て、私に似てしまうといい。
あなたは、お母さまだけの娘。

ただね、メグ。
恋の仕方は、同じではない方がいいかもしれないわ。
でも、これは矛盾ね。
あなたがあの方の心にかなう才能を持っていることも、望んでいるのだから。

ああ、いまこそあの方にお会いしたい。
お目にかかって、あの瞳と声に身をゆだねたい。
何年も時がたったような気がするのは、おこがましくも
私の方から距離を置いてしまった報い。
あとどのくらい、この灼熱感に堪えなければならないのだろう。


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「オペラ座の怪人」に惑う・『献身と魅力~閑話休題8』

ミランダ・リチャードソン、記憶にある顔だと思っていましたら、
「太陽の帝国」に出演していたんですね。
捕虜収容所で、主人公の少年の隣のベットにいた夫婦。
母と離れた少年の母性への希求と、大人になってゆく過程での
女性への憧れ、その両方の対象として印象的な演技をしていました。

マダム・ジリー役でも、ふとした仕草に女性の色香を感じます。
髪をかきあげる様子、
教え子がプリマとして立ってゆくのを見つめる姿、
娘をいたわる母性、毅然と己を通す自信。

アーティストでありながら、アーティストであるファントムに献身できるところも。
「ドン・ファンの勝利」でシャンデリアが落ちたあと
ラウルを地下に途中まで案内しつつ、隠れ家には姿を見せないのは、
ファントムが割った鏡の向うの通路で待っていたからかもしれません。

パンフレットにもあるのですが、部屋に溢れるラブレターの山も、
少女時代は固そうな彼女の官能を、ファントムが引き出したのではないかと。
秘密を持つと女は魅力的になるもの。

「私の声であなたの花が開き始める」
ファントムはまずマダム・ジリーを、次に教え子であるクリスティーヌの
花を開花させたのかも。
真に才能あると認められた場合、それが自分より圧倒的なものである場合、
嫉妬を超えて全身全霊を込めて献身できるものなのでしょうか。
マダム・ジリーにとってはそれがファントムであり、クリスティーヌでもある。
フィギュアスケートやマラソンの著名な指導者が、我が子を越えて才能ある者に
献身する例もあるように。

ファントムが異常な才能でマダム・ジリーを圧倒し、
また彼女なければ生きのびられなかった保護本能を誘発する存在であること、
そしてこの関係が、異性としての魅力を互いに引き出すことも。

またかの国には初めは本人が愛人として、後には自ら選んだ美女を娶わせ、
王に影響力を保ち続けたポンパドゥール夫人の例も。
酸いも甘いも噛み分けて。
ファントムの心が目の前で教え子に奪われてゆくのさえ、是とする心持ち。

ファントムの悲劇は、この関係をクリスティーヌにも当てはめようとしたこと。
始めは父として、友人として、師として接していた相手が、
ある日異性として立ち上がったとき、
少女は受け入れるか拒否するか。

多くの父親は娘に恋するもの。
嫁がせられる理由は、ただ血が繋がっているというあきらめ。
そうでなければ、誰がみも知らぬ自分と同性の相手に掌中の珠を
差し出せるものでしょうか。
クリスティーヌと血が繋がっていないのも、ファントムがあきらめきれぬ理由。

通常、互いを異性として意識するのは、ステディな存在として認め崇めあうこと。
ところが芸術家の場合、相手を囲い込みつつ、
一方で他の信奉者の存在を自分には許す。
そして相手には許さない。
芸術家と添うことは、自分以外の異性の気配を常に感じることになることも。
これをも是として惚れ込めるか、惚れさせるかが、幸不幸の分かれ道。

「ドン・ファンの勝利」で、ファントムはクリスティーヌに求めるあらゆることを示し、
自ら表現する。

クリスティーヌは師を手放す道を選択。
ブーケの犠牲は単なる言い訳のひとつ。
ただ、マダム・ジリーほどには惚れこめなかったということ。
ファントムの啓示する世界が、クリスティーヌを魅惑し切れなかったということ。
つまりはクリスティーヌの才能がファントムの才能と拮抗、
もしくは凌駕するものだったということもあるでしょう。

そしてまた、肉親に抱いたものと同じ愛情が異性のそれに昇華する情動に、
父親を崇める彼女は、どうしても禁忌を感じてしまったのかもしれません。

Make your choice!
甘いことを。
「選択」などと言われれば、第三の道を見つけたくなるのが全てを得たい女性。
「源氏物語」における光源氏が紫の上を育て、妻にしたときのように、
「選択」など許さない状況におかれていたら
また違った結果になったかもしれませんが。

苦く強いお酒は甘いと偽るか、カクテルにして飲ませるもの。
両方苦いと言われて飲めるのは、すでに毒がまわっている、
もしくは共に堕ちようと、覚悟を決めた者だけ。

こうして、ファントムは再びマダム・ジリーの庇護のもとに。
才能ではなく献身で勝負したラウルのように、全てを受けとめる信奉者。
ファントムを魅了し得なかった、自身の才能の限界をも、
溺れている自分の姿をも見つめる度量をもって。

これがおそらく80歳を越えてのあの美しさに繋がるのなら、
彼女のような生き方もあることを知るのも、また良きことかと。


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「オペラ座の怪人」に惑う『ベルばらとの共通項~閑話休題その7』

「オペラ座の怪人」に何故惹かれるのでしょう?
印象的なシーン、仮面を剥すモチーフを見るのに
「ベルサイユのばら」を紐解き、久しぶりに通して読みました。
今年は1755年生まれの主要人物の、生誕250年だそう。

初めて読んだのは小3のころ。
それから何十回読み返したか知れない、少女漫画の金字塔。
よき本は読む度に発見があるもの。
セリフのひとつひとつ、ト書きの細部まで覚えているつもりの
この作品にもやはり新たな気づきがありました。
そして「オペラ座の怪人」との共通項にも。

はじめに惹かれたのはアントワネットの豪華な装いと美しい言葉に。
次はストイックに男性としての仮面を被り、壮絶な人生を生きる
オスカルの悲しみと魅力に。
そして黒衣のエリザベートの、若さと美を求め続ける妖しさに。

「ベルばら」には番外編として登場するエリザベート。
実在の女性がモデルで、若い女性の血に身をひたすことで
永遠の美しさを保とうとしたヴァンパイア的人物。
彼女の狂気には、ファントムの行動など
可愛らしいものとさえ思えるのですが
城に引き篭り、機械仕掛けの人形を作らせて共に暮らし、
薔薇を使い、夜を愛し、己の美を完成させるのなら
他を脅かしてもかまわないといったところ。
まるで「オペラ座の怪人」とのパラレルワールドを完成するために
配されたかのよう。

「ドラキュリア」での美しさと演技を認められたことも、
バトラーがファントムに選ばれた理由だそう。
永遠の美しさ若さ完璧さを求める神に背く
異形のヴァンパイアが儚く散る姿が、
ファントムに重なる部分があるからなのでしょう。

白馬の騎士、ハンス・アクセル・フォン・フェルゼンと
黒い騎士にまでなったアンドレ・グランディエの献身にも。
彼らは女性に比べれば地味な役回り。
その良さがわかるまでには長い時間を要しました。

オスカルを美しき女性としてとらえるためのキャラクター、
求婚し身を引いてゆくジェローデルの分かりやすい献身には
かえってすぐに気づき端役の魅力を発見する愉しみは
得ていたのですが。
(美を崇め、振られる男性に惹かれるのも
このあたりがルーツのようです☆)

アントワネットの仮面を剥ぐことから恋に落ち、
以来アメリカの独立戦争や
自国の紛争に身を投じて距離を置こうとしながらも、
最後まで静かに愛し続けるフェルゼン。
夫であるルイ16世の信頼さえ獲得し、王家のヴァレンヌ逃亡まで
命を賭して献身する。
アントワネットが断頭台の露になったあとも結婚はせず、
世を捨てたようになる。

オスカルに思慕を抱きながらも身分の違いから
自分の気持ちをずっと抑え続けるアンドレ。
彼女の頼みで犯罪者を捕らえるために髪を切り、
仮面をつけて変装したあげく視力さえ失う。
影のように従い、献身を捧げ、ついには一人の男性として
オスカルの前に立ち上がる。
バスティーユの戦闘で彼女をかばって亡くなるのも本望。

オペラ座の怪人での、ラウルもこうした役回り。
献身と勇猛果敢さを併せ持つのは、男性として大きな魅力。
「強くなければ生きてゆけない、優しくなければ生きている資格がない」
女性として幸せになるならば、貴婦人に献身し、危険から救い出し、
勇敢に闘い、リードしてくれるホワイトナイトを。

さて、アントワネットが夜な夜なオペラ座に通い、
贅沢三昧に過ごしたのは、故郷を離れ一人異国に身をおいた寂しさと、
ルイ16世の身体的欠陥から長い間子供に恵まれなかったことも
原因とか。
それがフェルゼンに会い恋することを知り、母となってからは落ち着き、
さらに革命の炎にさらされることによって目覚ましく成長する。

軍服に身を包み、恋をあきらめ、定められた運命に泣く日もあった
オスカルも、男性からミューズとして扱われることで女性性に目覚め、
また激動の時代の中で思想や芸術に触れ、
理想と共に生きられたことを感謝する。

「オペラ座の怪人」のヒロイン、クリスティーヌが
ファントムによる才能と女性性の目覚めと
ラウルによる満ち足りた生活で、
大きく花開いていく予感に重なる部分も。
現世でしっかり才能も女性性も母性も内に秘めた愛も味わうには、
陰と陽、双方のパートナーとの出会いが必要なのでしょう。

アントワネットとフェルゼンが交わした指輪に刻まれた言葉、
「臆病者者よ、彼女を見捨てるものは」
「一切が私を御身がもとへ導く」。

ラウルがクリスティーヌに、またファントムが返した指輪に
篭められた思いとは?

物語の虚構と歴史の舞台が交差する。
何度も映画化、舞台化され、蘇る。
人々を魅惑してやまないエッセンスがどこにあるのかを
学ぶにふさわしい二作品。


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「オペラ座の怪人」に惑う・『非日常と孤独~閑話休題その6』

オペラ座の仮面舞踏会は、クラブ、ティスコティックといったおもむきだったよう。
マリー・アントワネットが堅苦しいベルサイユ宮殿から逃れるため出かけた、
はじめは貴族やお金持ちたちの、のちはかなり一般的な遊びの場。
お見合いの場としても重宝したとかで、クリスティーヌがラウルと再会するのに
やはりふさわしいところ。

ラウルを含めた通常の人たちにとっては、
陽のあたる日常から非日常の世界へ。
寄宿生・クリスティーヌにとっては、昼も夜も朝も、オペラ座そのものが日常。
そしてファントムには、地下の闇の日常から、仮面や衣装や濃い化粧をした、
自分と似た姿の人々とつかの間すれ違える、遊びの場。
三者の接点となるオペラ座。

ラウルは物理的に日常と非日常を自由に行き来できる。
クリスティーヌは劇場の住人として、ファントムの教え子として、
オペラ座以外の世界があることを、ラウルの出現で思い出す。
Light of day、陽の光を運んできたのがホワイトナイト・ラウル。

ファントムにとって陽の光は仮面と同じく無情、unfeelingなもの。
クリスティーヌにも陽の光に背を向け、夜の闇に感覚を向けるように歌う。
地下と劇場以外の世界を選択できない故に、常に闇の中で
想像力で創造力を培い魂を飛翔する術を学んだファントム。
闇の中にいてこそ、ファントムは光を放つ。

昼も朝も夜もあってこその人生と、
ラウルは明るい日常、生活、夏の日の思い出を語る。
一方、ファントムは暗い過去を背負った調べを歌う。
私の夜。ファントムにとっては夜が昼、昼が夜。

見えないものをつかみ、聞き取り、感じとるのは闇の中だからこそ。
ファントムの仮面となって皆に声を聞かせる翼がクリスティーヌ。

明るい陽の光のもとで、目に見えるものを表現するのはたやすい。
見えない世界にこそ、真のパワーがあると語るファントム。
闇の中にある果て無き天上の音楽。
その仲間に永遠にクリスティーヌを加えたい。

5年間、劇団四季でファントムをしている方の興味深い発言。
「僕はクリスティーヌという女性がどうしてもわからない。
19世紀の女性だからああいう選択をしたんでしょうか?
ファントムと一緒にいけばいいのに。誰だってそう思うでしょう?」
(「オペラ座の怪人・パーフェクトガイド」より)
彼はラウルとクリスティーヌをしている方の師・先輩でもある著名なテノール。
これぞ芸術に生きる方の視点。
ファントムが執拗に疑いなくクリスティーヌに迫るのはまさにこの発想から。

ブーケ事件以後、仮面舞踏会で再びファントムに会うまでの三ヶ月の間、
ラウルと存分に過ごし、陽の光にあたる日常を、クリスティーヌは知ったはず。
その間、ファントムは闇の日常に篭り続けた。
受難劇を生き、ともに十字架を背負うことをうながす作品のために。
さながら陽の光を恐れるドラキュリア。
そのくせラウルの指輪を捨てないのは、やはり陽の光に憧れるゆえ。

Share each day with me, each night, each morning.
オペラ座に留まっていたクリスティーヌにとって、日常を共にするのは
かつては夢にまで出演するファントムの役目。
ラウルにその座を明け渡したファントムは再び、
孤独を学ばなくてはならなくなる。

もとより孤独に耐えるのはお手のもの。失うことにも慣れている。
0から芸術の殿堂を作り上げたときのように、
太陽のように孤高に生きることができるファントム。
芸術家の孤独の影に惹かれ溺れる者たちも、また現われたはず。

一方ラウルは一人残されたとき、ただ力なく絢爛たる過去を振り返り、
失ったものを嘆き、これから続く孤独な日常を思い、おののく。
神と共にあれば、一人でないと知ってはいても。

芸術家は常に己の孤独を凝視する。
数十年の時を経て、ようやく成ったドン・ファンの勝利。
オペラ座のプリマの栄光のように、あまりにも得がたく儚きtriumph。


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「オペラ座の怪人」に惑う21『誕生 ルイーズ 1860年』

お姉さまの出産が近づいて、その準備で少し慌しかった我が家も
落ち着いてきました。
亡くなったお母さまが末っ子の私を生んだのが14年前。
久しぶりに赤ん坊が抱けると、お父さまは嬉しそうにしてらしても、
きっと不安もおありだ思います。
お姉さまがお相手だとおっしゃる方はご贔屓にしてくださる貴族のお一人で、
正式な奥さまがいらっしゃる。
当然お子様のお一人には加えていただけず、
お姉さまは女手で子どもを育てていかねばならない。
でも、こんなことは華の都パリ、特にオペラ座の住人にはよくあること。
お父さまの憂慮は、お姉さまのお相手が、
本当はどなたかということみたいです。

そんなお父さまのお気持ちをよそに、産み月に入ったお姉さまは静かに過ごし、
赤ん坊のための衣類の仕上げなどをしています。
私もそばでお手伝いをしたり、来年の結婚式のためのレースを編んだり。
あ、私は来年、花嫁になるんです。
少し早いかもしれないけれど、シャルルはもう30歳を越えているので、
できればすぐにも、ですって。

彼はお兄さまが通っておられた建築学校のお友達で、
私がまだ歌を習っている頃から、我が家にずっと出入りしていた人。
「君が歌い手になってオペラ座の住人になっていたとしても、同じことを言うよ。」
これがプロポーズの言葉。

遠い日、これが恋かしらっていうことを教えてくれたあの方とは、
エリザベート様の結婚式以来、一度もお会いしていません。
あの方に抱いた気持ちと、シャルルに対して持っている気持ちは本当に違うの。
お別れした後は、あの方のことを考えると、胸が痛くなって、
哀しいような泣きたいような気持ちになって。
苦しくて、頂いた伝言をボロボロになるまで何度も読み返して。
花嫁人形が送られてきたとき、あの方のお気持ちを再度告げられたようで、
本当に号泣してしまったんです。

「シャルルは才能があって有望だ。デッサンをみればわかる。
それに野心家だし何よりお前を愛している。きっと幸せにしてくれるだろうよ。」
お父さまの言葉もあって、私、結婚することにしたんです。
シャルルと一緒にいると、とても心が穏やかになるのは確かなんですもの。
お姉さまをみていても、恋と結婚は全然別のものじゃないかって気がします。

「実は今日ね、締め切り間際のコンペ用の設計図が何とか仕上がってね、
届けてきたんだ。」
その晩、訪ねてきたシャルルが、みんなの前で嬉しそうに話してくれました。
「いままでの中で最高のできなんだ。これが認められないなら、
審査員の方に問題があるってことさ。
もちろん、優勝したら君との結婚に華を添えられるし、
もっといい暮らしができるようになるけれど。」
「やっぱり応募したのか。シャルルなら可能性は高いと思うよ。」
「僕もそう願っていますよ、お父さん。」

「結果はいつわかるの?」
「来年の半ばごろかな。君との結婚式の6月に間に合えばいいね。」
「いっそオペラ座が完成するのを待って、そこで式をあげたらどうだい?」
「そりゃあいい。」
「オペラ座ですって?」
お父さまの言葉に、シャルルが答えたのとお姉さまが叫んだのが同時でした。

「設計コンペって、オペラ座のことなの?」
「そうですよ、クレア姉さん。いまの劇場はだいぶ傷んでいるし、
設備も趣味も良くないでしょう?
新しいオペラ座建築の話は、建築仲間や芸術を愛する人たちの中では
よく話題になっていましたよね。」
「それはいつまで応募できて?」
「今日の午後五時で締め切りだったんですよ。だから僕はこうして・・・。」

シャルルの声をさえぎるように、いつも冷静なお姉さまが立ち上がりました。
「今日ですって?ああ!」
「興奮してはいけないよ。体にさわるだろう?」
「お父さまは、知っていらしたの?知っていらして黙っておられたの?」
「何を言っているんだね、クレア、落ち着きなさい。」

お姉さまの出産が始まったのは、それから間もなくのこと。
私が何もできないでうろうろしているうちに、
シャルルは産婆さんを呼びにいったり、
その他たくさんの雑用に飛び回ってくれました。
幸い、出産はすぐにすみ、生まれたのは丈夫そうな女の子。
亡くなったお母さまの名前をいただいて、マーガレットと名付けられました。
きっとメグって呼ばれることになるでしょう。

「オペラ座のコンペときいて、お姉さまは何故あんなに興奮なさったのかしら?」
シャルルを玄関先で見送ったあと、居間でグラスを傾けている
お父さまにおたずねしてみました。
「わからんよ、わからんがおそらく・・・。」

スコッチと共に飲み込まれた言葉を、なぜか聞いてみることができませんでした。
軽い眩暈が続くような記憶が、ふいに蘇ってしまったんです。
部屋に戻って取り出したのは、すっかり埃を被ってしまったあのオルゴール。
螺旋をゆっくりと巻き、懐かしい音楽に身をゆだねると、
止め処なく溢れる感情に、私はただ押し流されていきました。

「夜は すべての感性を 鮮やかに磨き上げる
 暗闇は 想像力をかき立て 生き還らせる
 静寂の中で 感性という翼が 
 せまい籠の中から 解き放たれてゆく・・・」


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「オペラ座の怪人」に惑う20・『恋 クレア 1856年』

オランダにある隠れ家で、あの方とご一緒に暮らし始めてもう3ヶ月になる。
東方から戻られる知らせをもらい、私はすぐオペラ座に休暇願いを出した。
船が着くころは毎日波止場に通い、お会いしてそのままここへ。
運河のそばの細長い建物の並ぶ中のひとつで、ひどく急な階段を登ると
中は驚くほど広く快適な空間が広がっている。

日に二度やってくるジュールから日用品や嗜好品を受け取る以外は
ずっとここへ籠もりきりで過ごす。

あの方は日中は瞑想や読書にふけったり、
東方でのスケッチをまとめていらっしゃる。
私はといえば、あの方がどっさり贈って下さった東洋の絹服や小物を広げ、
縫い直して自分の体にあわせたり、次の舞台に使えないかと
考えをめぐらているようにして
その実、一挙措一動息も見逃さぬよう、見守っている。

ここへ来て間もないころ、あの方がふと昼のまどろみに落ちたすきに
体の感覚が鈍らないようにと、屋根裏のピアノのそばで
静かにステップを踏んでいたことがある。
しばらくすると、あの方が血相を変えてドアを開けた。
私がいることがわかると、ご自分の取り乱した姿を恥じるようにうなだれ、
静かに言われた。
「部屋を出る時は、声をかけてくれ。必ずだ。」

そうかと思うと、私には行き先を告げずにお出掛けになることもある。
「日をまたぐ頃には、戻る。」
最初はまた何処かへ華やぎに行ってみえるのかと
ため息をついていたのだけれど
ジュールの言葉をきいて驚いた。
「阿片窟へ通っているんです、エリックさまは。
東洋へ行って、どっさり材料を仕入れて送って来られたときから
心配はしていて何度かお止めしたんですが。
あなたにはその姿をお見せできないということで、
我慢が出来なくなられると、時どき・・・。
私が申し上げたことは、どうぞ内密にしてくださいよ。」

つまらぬ感情に駆られていた自分の愚かさを、私は嘆いた。
東洋から入ってきたあの毒のおかげで、
身を持ち崩したオペラ座の住人も何人かいる。
自分の才能が信じられなくなったり、本番前の緊張状態を和らげるために使い、
結局足もとをすくわれてしまうのだ。
そのうえ、阿片はのどをも痛めてしまう。
あの方の美声が失われてしまうなんて。

「しばらく、海岸へでもいらっしゃいませんか?」
ジュールの話をきいた次の朝、私はあの方に申し上げた。
「何故?ここにはもう飽きてしまったのかい?」
「ええ、ごめんなさい。なんだかずっと閉じ込められているようでしょう。」
「そうかな。君はいつもオペラ座の日の射さないところに
いるのじゃなかったかな。
それとも、私といるのが嫌になったのか。」
「そんなことはありませんわ。海岸がお気に召さないなら、
ここよりもっと田舎の田園や森のそばはいかがでしょう?
フランスに戻れば、ご贔屓にしていただいている方の田舎の別荘など
貸していただける当てがございますの。」
「フランスには、しばらく戻りたくないんだ。」
なんて寂しげな顔をなさるのだろう。
また、なにかあの方の心を乱す出来事があったに違いない。

それから私は、東洋の美しいものに心奪われるふりをしながら
あの方を観察し、どうしたらよいかを思案した。
起きてここにいらっしゃるときは、私のそばから片時も離れたがらない。
突然声をあげて、顔を覆われたり、ときに強く抱きついたりなさることが
度々あり、あとは決まって、行き先を告げない外出をされる。
その頻度は、だんだんと増えていった。

考えた末、私はあの方の許可を得て、役につくことができずに
休暇を余儀なくされた若い娘をひとりずつ、オペラ座から呼ぶことにした。
次の仕事が来るあいだ、彼女たちは狭いアパルトマンで
小間使いと一緒に過ごすしかないし、
ここへ来れば部屋代もかからないということで、喜んでやってくる。
そのうえ、あの方の気が向けば、素晴らしいレッスンが受けられるのだ。

彼女たちははじめ、あの方の仮面姿に戸惑うが、
声の素晴らしさと紳士的な態度に魅了されて心を許し、
めきめきと歌がうまくなってゆく。
気が紛れるのか、あの方もときに熱を帯びて指導なさる。
あのルイーズを人前に出せるくらいに教えなさったのだもの、
実際に舞台に立っているプロの歌手である彼女たちが
上達しないはずはないのだ。

ひよっこが、羽をすこし大きくはばたかせる程度に上手くなると、
二週間ほどで彼女たちはパリへ戻ってゆく。
自信をつけ、次のオーディションを受けるためだ。
入れ代りに、私はまた別の娘をパリから呼ぶ。
あの方は、すこし飽きれておられたけれど、私は任務のような気持ちで
彼女たちを迎え、もてなした。

娘たちは初めは慇懃な師匠の前にかしこまっているけれど、
だんだんといつもの習慣が出始め、パトロンに寄り添うような媚態をつくり、
屋根裏のピアノの前に、あの方を誘ようになるのが常だ。
レッスンのあいだ、私は物音の届かない階下にいることはなく、
街に出て買い物をしたり、パリから訪ねてきてくれた紳士方に会ってきたりする。
数時間後、戻ってみるとレッスンを終えたあの方はぐっすりと心地良さげに
休んでおられることが多くなった。
時に傍らに、気まぐれな羽を添えて。

そんな様子をみても、かえって安心しようとしている私がいる。
あの方が阿片に絡め取られるくらいなら、
若い翼に気を向けていらっしゃる方がよほどいい。
一度踏み入れてしまったら、かえってこられなくなる可能性も
あの毒薬よりは低いはず。
恋は、いつかは醒めてしまうもの。
全霊を傾けられるものに昇華してしまわない限りは。

もちろん、彼女たちが本当ここに来たいと望み、
それがあの方のお気持ちにかなうなら、
喜んで迎える心の準備は、できているつもり。
だって私の方こそ、逃れられない麻薬に絡め取られてしまっているのだもの。

砂の器のごとき 命果てるまで 


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「オペラ座の怪人」に惑う『芸術家に必要なもの~閑話休題その5』 [オペラ座の怪人に惑う]

芸術家は信奉者をそばにおき、囲いたいもののよう。

例えば岡本太郎さんの養女、敏子さんはとにかく彼を信奉すること、篤い方。
キラキラした目で彼の描くもの、話すもの、全てを賛辞の眼差しで見つめ、
「あれだけ熱心に見つめられたら、誰だっていいこと言うよなあ。」とまで言われたとか。

また、過去の女性関係も把握し名前を覚えられない太郎氏の
「あのときのあの子、誰だっけ?」という電話にも
「○○でしょ?」と答えていたそう。

太郎氏は母である歌人・仏教文学者・小説家のかの子さんからは
まったく世話をしてもらった記憶がないと語っています。
岡本家は、漫画家である夫・一平氏、かの子氏、太郎氏、そして
彼女の信奉者兼恋人兼太郎氏の養育係の男性何人かという
はたから見えれば奇妙な共同生活。
太郎氏は幼いうちから母から恋人との葛藤などを
ありのまま聴かされていたとか。

さらに18歳から30歳まで芸術と恋の本場フランスで過ごし、
ソルボンヌで哲学を修めた太郎氏には、
人とは数歩違った視点で世の中を捉える土壌が育ったのでしょう。

「かの子 繚乱」という伝記の取材のために、足繁く通っていた
瀬戸内寂聴(当時は晴美)さんに、新しく自宅の設計をしていた太郎氏曰く
「君の住む部屋も用意したよ。六畳でいいかい?」。
売れっ子で自宅をも持つ瀬戸内さんは即座に断ったそうですが、
何年かたったあとでも「なぜあのときお断りになったの?」と
敏子さんから言われたとか。

もともとかの子氏のファンで、太郎氏の生い立ちをも含め深く理解し、
行状の全てを受け入れることができた敏子さん。
また元編集者でもあったため、太郎氏の撒き散らす言葉を丹念に集め、
著書という形になり世に送り出しました。

「太陽の塔」を始め、常に物議をかもしていた太郎氏と
共に戦い続けた敏子さんは、たとえ世界中を敵にまわしても、
決して後ろを見せることはなかったでしょう。
老齢になって太郎氏の病状が進んでも献身的に介護し、最後まで看取られ、
太郎氏の死後もその活動を精力的に続け、輝いておられます。

あなたの行動の全て、あなたの望むこと全てがわたしの喜び。
芸術家と信奉者の、まことに幸せな関係。

さて、芸術家・ファントムにとっても、信奉者は必要でした。
初めはおそらく、マダム・ジリー。
幼くして親を亡くしたクリスティーヌを知ってからは彼女が彼の讃美者に。

ラウルとの再会を果したときも、クリスティーヌのファントムへの信仰は
続いています。

Angel of Music!
Guide and guardian!
Grant to me your glory!
     
“Angel of Music”  Andrew Lloyd Webber 1986 

私を導き、守って欲しいと訴えるクリスティーヌ。
ファントムにとっては、信者であるのみならず、
自分の歌を飛翔させるための大切な翼。

その翼を羽ばたかせる姿が見たいと、オペラ座内に圧力をかけるファントム。
自分が望んでいることはクリスティーヌも望んでいると全く疑っていないのは、
劇場という箱庭に常に引き篭っているからでしょう。

カルロッタを無理やり舞台から降ろす細工をしたのは自分だとわかるように
姿を見せたのも、クリスティーヌが自分と同化していることへの
疑いのないしるし。
なんの躊躇いもなくブーケ・Bouquetを縄で束ね、死に至らしめたことも、
クリスティーヌがプリマに浮上したことへの祝いの花束という
演出だったのかもしれません。

ところがこのファントムが演出した非常事態において、恋に落ちる法則が発動、
クリスティーヌはラウルとの恋を確認します。
「恋に落ちる瞬間/オペラ座の怪人に惑う」

You'll guard me and you'll guide me.(to Raoul)

かつては自分に向けられていた言葉が、目の前で他に向けられる。
しかも自分が営々と育て上げた芸術品に酔わされた結果として。

You will curse the day you did not do,
All that the phantom asked of you!

“All I Ask of You (Reprise)”  Andrew Lloyd Webber 1986

 お前に私の音楽を与えてやった
 お前の歌に翼をつけてやった
 なのに お前はどう報いた?
 私を拒み あざむいて
 お前の歌を聞いて
 奴は恋に落ちることになったのだ

 ファントムが望んだことを拒んだこの日を
 お前たちはきっと呪うだろう

このあとは、ジェラルド・ファントムの色香なければ滑稽でさえある必死の行動。
一度離れた信者を引き戻すためのあくなきマッドアーティストの所業。
愛を知らぬまま育った者が、恋愛行動においてただ奪うことしかできないという
ドン・ファンの典型に陥ってしまいます。
また、ドン・ファンは赤もお好き。

All I Ask Of You.
「私があなたに望むこと」が「あなたが望むこと」とイコールでなくなる日。
芸術家とその信奉者という関係が、崩れたことを認めぬままの悲劇。

全てを受け止め、支えてくれる母の記憶無き二人の芸術家の、
この時点での明と暗。

☆岡本さんも幼い頃から赤がお好きでした。
いまよりいっそうドブネズミ色が溢れていた時代に
「男のくせに」と言われながら。☆


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「オペラ座の怪人」に惑う『指輪とオルゴール・閑話休題その4』 [オペラ座の怪人に惑う]

幼い頃、いつも肌身離さず持っていたおもちゃの思い出はありませんか?
どんなに汚れてしまっても、大切にしたぬいぐるみ。
何度も親に言われても何故か捨てられない布や紙。
人にはガラクタにしか見えないコワレモノ。

ファントムが見世物にされていたときのシーンでも、
小さなシンバルを持っていると思しきぬいぐるみを大切にしています。
見世物小屋の見張り役の首を締め、閉じ込められていた檻から脱走したときも
唯一持ち出したのがこのぬいぐるみ。

学生のころ、針金ママと布ママの実験、という心理学の講義を
受けたことがあります。
親から引き離した赤ん坊のサルを、針金製の母親のぬいぐるみと
布製の母親のぬいぐるみのいる檻に入れたところ、
後者の方にばかり寄っていったとのこと。
針金ママからミルクが出るようにしても、食事の時以外は
近寄ろうとしなかったとか。

母親から見捨てられ、檻に入れられていた少年の、
ぬくもりの源だったぬいぐるみ。
ファントムと人々から恐れられるようになってからも、大切にしていたのは
オルゴールを内蔵したサルのおもちゃ。
きっとあのぬいぐるみをリフォームしたものだったのでしょう。

オルゴールの奏でる曲は「マスカレード・仮面舞踏会」。
クリスティーヌをラウルの元に返したあとに、一人鳴らし、
ともにつぶやき歌う声は胸がしめつけられるような寂しさ。

・・・
Masquerade
Paper faces on parade . . .
Masquerade
Hide your face so the world will never find you . . .

Christine, I love you....
 
「仮面舞踏会   
 紙の仮面達のパレード
 マスカレード  
 顔を隠して 
 けっして 見つからないように 」

“Down Once More/Track Down This Murderer” 
Andrew Lloyd Webber 1986
 
昼が夜の仮面を被るように、人々が自分と同じ姿になるマスカレード。

そこへクリスティーヌは一度戻ってきて、ファントムに指輪を握らせて去ります。

指輪はもともとラウルの贈ったもの。
婚約のしるしを指にはめようとはせず、鎖の先のペンダントトップにして
新年の仮面舞踏会に出ようとするクリスティーヌを、ラウルは咎めます。

贈った指輪を相手が指にしないのは、不安をかきたてるもの。
ラウルの言うように周囲に秘密にしておきたい関係なのか、
本人の決心が、実はまだついていないのか。

首にかけていたのは、ファントムへのメッセージにも見えます。
劇場内に脅威を与えていたファントムは、ついに殺人事件を
クリスティーヌの目の前で起こしてしまう。
檻から脱走するときと同じく、縄をつかったハンギング。

初めは生命を守るためにやむを得ずなった縄の使い手は、
人々の恐怖をあおり快感を得る殺人マニアへと。
ブーケを追い詰めるファントム、とても嬉しそう。
Bouquet's a tied tribute for Angel of Music?

“Keep your hand at the level of your eyes! ”
「目の高さに手を上げておきなさい!」
彼の性癖を知るマダム・ジリーのくり返す言葉。

クリスティーヌの首の鎖は、ハンギング・ロープを象徴しているかのよう。
あえて指輪を目立つ場所につけることで、どこかで見ているに違いない
パラノイアな師への、教え子からの愛を選択するというメッセージ。

鎖はあえなくファントムに引きちぎられ、指輪は奪われることになる。
離れようとしても、必ず引き戻してみせるという宣言。

地下に再びクリスティーヌを連れてきたとき、ファントムは奪った指輪を
彼女の指にはめるのではなく、手に握らせます。
ファントムは憎いホワイトナイトの贈った指輪をなぜ捨ててしまわなかったのか。

仮の衣装でも、後ろめたい闇の教えでもない、初めて得たあたたかい光。
ファントムにとって、クリスティーヌの胸に輝く指輪は
自分が大切にしていたオルゴールと同じものに見えたのかもしれません。

求めてやまなかったぬくもりを、つかの間でも与えてくれたおもちゃ。
全てを手放したファントムに、再び戻ってきた光の輪。
指にはめられることの少なかった指輪は、今度は
ファントムの脈打つ暖かさを添えたことでしょう。

ラストシーンで輝く指輪とオルゴール。
ふたつのかけがえのないおもちゃの、邂逅。


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「オペラ座の怪人」に惑う19『スピリット エリック 1855年』

護岸のための図面を描き上げ、私は極秘で現地に到着した。
外国人がうろうろすることなど、考えられない時期だったから
顔を隠すのに頭巾を被った人物というのは、何かと都合がよかったようだ。

陣頭指揮を取るのは、気のいい、頭の回転の早い男で
通訳を交えて説明をすると、何をするべきか、何が必要かをすぐ理解した。
「仕事に取り掛かる前に、100年前の工事の請負人たちの墓に
行きたいのだが。」
船で一緒だった騎士に足を運ぶように頼まれていたし、
多くの人命を賭けた場所に手を入れるなら、
断りを入れておかねばならないだろう。
この感覚も、この国の者にはわかるようで、すぐ翌日に案内された。

墓はよく手入れされていて、花も添えられている。
政府の意に反して、殉死した者たちを手厚く葬ったという場所は
この地の聖地ともなっているらしい。
墓の前では被り物は取るべきだが、非礼をのんでもらい、
そのままで死者に手を合わせる。
無神論者とはいえ、身を賭した騎士たちの魂のありようには
敬意を表したかったのだ。

工事が始まると、私が目したとおり、指揮を取る男は優秀で、
彼のもとに召集された人足たちも陰日なたなくよく働き、
たちまちのうちに工事に目鼻がつき始めた。
いままで経験したなかで、おそらくもっとも優秀な請負人たちだろう。
おかげで、私は予定より早くこの地を後にすることができた。

一連の仕事の謝礼のひとつとして、私はかねてから申し入れてあった、
かの地の西方にある劇場に足を運ぶことを許された。
もちろん、これも極秘中の極秘だ。
ちまたに流布しているという、文字入りの版画を手にいれ、
あらかじめ話の筋を把握してから芝居小屋に足を踏み入れる。
小屋の中で案内人に異国の言葉で説明してもらうわけにはいかないからだ。

夫に裏切られ、毒を盛られた女が客席上で宙を舞いながら笑いかけ、
仇を討つ者と討たれるものが、舞台に掘られた池でずぶ濡れになった
その水をこちらにもふりかける。
大仰で人を喰っていて、目を奪う面白さだ。
これはオペラ座でも、試してみてもいいかもしれない。
今しがたまで美しい女だった役者が、男や変化のものになりかわるのも、
見たことのない早さだった。
役者が皆、男というのは奇妙だが、これも昔日の宮廷演劇と重なるともいえる。
衣装も贅を尽くしたもので、舞台の構成、色彩感覚も優れていた。

この地での演劇の様子を描きとめてクレアへの土産のひとつにする。
女役のまとっていた黒い絹布の衣装も、彼女なら着こなせるだろう。
ルイーズにはたしか人形だったろうか。
私は案内人に、舞台と同じかそれに類する衣装と、人形の手配を頼んだ。
金糸を織り込んだ黒の絹服はすぐ見つかったが、
人形は直接選んではと提案される。

日が落ちてから職人のもとに向かい、暗い部屋に並べられた
無数にあるかと思われる人形と対面した。
まだ体がないにもかかわらず、それぞれに魂がこもっているのがわかる。
じっと見つめられながら、私もひとつひとつを眺め渡し、
ルイーズのために抱きかかえられる大きさになると思われるものと、
なぜか心惹かれた、ひときわ大きなものを選んだ。
どちらも、この国の白い衣装をまとった花嫁人形に仕立ててもらうことにする。
「どなたか、嫁がれる方に差し上げるので?」
「いや・・・。しかしおそらくそうなると思う。」

この地を離れる前日、ようやく宿舎に人形が届けられる。
なめらかな表面の木箱に入った人形は、思っていたよりも
大きく仕上がっていて、二人ががりで運ばれてきた。
特に後から選らんだものは、ほとんど等身大だ。
検分のためにそっと木蓋をあけたとき、なぜ彼女に惹かれたのかが
ようやくわかった。
あまりにも愕然として、皆が引き払ったあと
しばらく必要としていなかったパイプに手を伸ばしてしまう。

「エリック、エリック」
インドで聞いたあの声がよみがえる。
今はこの薬も、役には立たないらしい。
帰国したら、やはり一度は行かねばならないだろうか。
逃げても逃げても追ってくるこの幻影から、
本当の意味で解き放たれるために。

憎い、そして愛してやまないかの女性のもとへ。


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「オペラ座の怪人」に惑う18『テンペスト エリック 1855年』

雨音が激しくなってきた。
この国では夏から秋にかけて、嵐はそう珍しいものではないらしい。
小さな島に到着し、用意された外国人専用の宿舎に身を据えてから半月、
もう二度も台風というテンペストがやってきた。
凄まじい風と雨で、荒れ狂う海がこの島をひとのみにしようと迫る。

私は、こんな嵐の晩がことのほか好きだ。
このまま世界を押し流してしまえばよいなどど、破壊的な気持ちにさせてくれる、
この不安定で不気味な風音を聞くと、激しいインスピレーションがわく。
ピアノと五線紙に向かいたくなってくるが、ここではそれはかなわぬこと。
その代わりに、私はさる筋から預かった護岸工事のための古い地図を広げた。

ちょうど100年前に完成したという堤防は、原形はとどめてはいるものの
上流から流れる土砂の堆積に追いつかず、
再び河川の氾濫が続いているという。
当時、莫大な資金と数多の人命をかけてできあがったというその堤防に、
なんとか根本的な処置を施したいということだ。
建築の心得はあるものの、護岸工事などもちろん手がけたことはない。
ただ、異国の地図を見られること(もちろん、持ち出しは厳禁だ。)は興味深く、
その河川流域に広がる輪状の美しい地形には心惹かれる。

私が考えているのは、河川のまわりにいくつかの小さい湖をつくることだ。
大きな建物の土台を作る際、ときに地下水脈を掘り当ててしまうことがある。
湧き水をいったん溜め、川に逃がすための湖を作る過程を、
一度イタリアのジョバンニのもとで経験した。
恐ろしく費用のかかる面倒な工事だが、
熱意があればやってやれないことはない。
濁流の勢いにも耐えられる漆喰の調合が鍵で、これは私の得意とするところ。
問題はこの国に、素材が揃っているかだが、
なければ他国から取り寄せればよいだろう。

鎖国などといって外との行き来を制限してきたらしいこの国の人間を、
フランスでもロシアでも、私は目にしてきている。
人も物も、すでに縦横に行き交い始めているのだ。
文明に倦んだ国々にやってきた、未開の、しかし意欲あふれる国の息吹。

私と同じ船にこっそり乗って帰ってきていた者のなかには、
ここからもっと南の地方から密航してきた騎士もいた。
積年の恨みの募る政府を悪し様に罵り、外国の知識を蓄え、
革命を起こさんものと海を渡ったのだという。
確かにその道にかけては、わが祖国には一日の長があるかもしれない。

かの河川の護岸の話をすると騎士の話ははさらに激昂した。
100年前の工事は騎士の故郷がまったくの遠隔地であるのに
無理やり請負わされたということだ。
「これもすべて、幕府の薩摩の力を削がんがための計略。
工事の指揮をとっていた者と側近の数名は、完成の暁に命を絶ったのだ。」

さらにこの国の騎士独特の死の作法を聞き、
ペルシアやわがフランスの方法と引き比べてみる。
ジョバンニはいったいなんと言うだろう。
工事の費用がかさみ、人員を失ったことの責任のために
死なねばならなかったとしたら。
「遅かれ早かれ、石片と埃が詰った肺がこの世から連れ去ってくれる。
そう急ぐこともないさ、エリック。」
あれから10年もたっているとは。

図面をしまい、寝床でまだ見ぬ土地の有り様に思いを馳せる。
風音に紛れて、今宵ルチアーナの声が聴こえてきたとしても、
持ちこたえられるような気がする。
嵐と、革命前夜の胎動と、そして新たな創造への期待が
気持ちを鼓舞してくれるのか。
この国に来たことは、正解だったのもしれない。


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「オペラ座の怪人」に惑う17『呼び声 エリック 1855年』

世の果てのような東の小島に行くと決めたとき、
私はモルヒネが手放せなくなっていた。
ペルシアで殺めさせられた罪びとたちのうめき、
それ以前に私の姿をみて自ら散り、あるいはこの手で散らした末期の表情。
いくら幻想を作り出し、人々を現実から逃避させることができても
私自身は、それらの惑いをただ眺めているだけなのだ。
いつも、半歩離れて。

この顔を覆う仮面のように、私は魂にベールをかぶせ、
世間と皮一枚距離をおく。
ずっと離れていられればよいが、この世はよほど
意地の悪い者に支配されているらしく、
ベールを奪い去り、剥き出しの魂を曝そうとする嵐が起きる。
あるいは鏡の前に、突きつけるように吹く残酷な突風。

そのたびに居場所をなくし、放浪を続けても逃れられるものではない。
いまやこの身をも持て余し、脱ぎ捨てられない鎧に取り囲まれた魂は、
鏡の部屋で己の醜い姿に狂ってゆく魔物のようだ。

それでときおり、媚薬を調合して耽溺し、しばしの安逸を得てきた私は
このところ欧州に入ってくるようになった異国の植物にも
手を出すようになっている。
在来のハーブより強力で、その習慣性に気づいたとき、
私はさらなる泥沼に足を踏み入れようとしていた。

東方行きを決めたのは、途中インドにも寄ると聞いたからでもある。
阿片窟に身を投じ、心身をやられる中毒者が欧州各地に続出していたけれど
私にはまだいくつかやりたいことが残っている。
原材料が手に入るルートを抑えれば、極上の薬を抽出することも可能で
そう惜しくもない身をいくらか永らえることもできるだろう。

航海は順調にすすみ、港に降りた私は現地の密売人に
サルタンの宝石のひとつを握らせることができた。
宝石もよかったが相手が痛風持ちで、薬草を調合してやったのも効いたらしい。
かなり大量の材料を手にいれ、帰国するまでに起こるだろう
発作の分を取り除けて欧州のアジトのひとつに送る手配を済ませる。
あとはジュールがうまくやってくれるはずだ。

「だんなはあれで、一儲けするんですかい?」
ひどいアクセントだが、なんとかわかる英語で密売人が尋ねた。
「いや、金はいらないのだ。あれは純粋に、私だけのものだ。」
「だんながひとりで、あれだけの阿片を?」
「そうなるだろうな。」
「そいつはやめといた方がいい。腐るほどあったって
密売人に中毒した奴がいないのは恐さを充分知ってるからなんだ。
あたしだって痛風の痛みはいやだったからあれに逃げたくなるときもあったが、
抜け出せなくなるからね。」
「その逃げ出したい痛みが、私にもあるのだよ。」
「だんなの魔法みたいな薬があれば、そんな病気なんざ、
すぐ治せるでしょうに。」
「自分で自分に魔法をかけられないのが、魔術師ってやつなのさ。」

密売人は私の身というよりは、痛風の薬が手に入らなくなることを
心配したのか、ある僧院に行くことを勧めた。
瞑想を一日15時間も続けている輩がいるらしい。
密売人も痛みがひどくなったときはそこに座り、心を落ち着けると
なんとか我慢できるようになるそうだ。
もっとも、その帰りに酒をひっかけ、たちまち元どおり、と笑ってはいたが。
出航までに丸一日余裕があったので、私は足を向けてみることにした。

僧院は、どうやらイエズス会が作った施設の一部であるらしい。
薄暗い建物の奥には、確かに白い衣装をまとった痩せこけた男が座っている。
目を閉じて、ゆったりと、しかし微動だにしない。
彼の魂はいったい、ここにあるのだろうか。
近くにあった椅子に腰掛けて目を閉じ、私は自然に手を合わせる。

しばらくじっとしていると、なぜか涙があふれ出て止まらなくなった。
声が聴こえる、美しかった母の声が。
「エリック、エリック」
私を呼んでいる?
あれほど嫌い抜いていた私を?
新しい夫と一緒にいるはずの母を思い描こうとしてみたが
浮かぶのは窓辺にひとり座る寂しげな女性の姿だった。
「エリック、エリック」
また呼んでいる。
違う、違う。
これは私の願望に過ぎない。
幼い感傷は、こうもまた私を支配しているのか。
決して報われない、徹底的に拒否され続けた惨めな過去は。

耐えられなくなり、私は突然目をあけ立ち上がった。
「お若い方、座りなさい。」
少しスペイン訛りはあるが、懐かしいフランス語が聴こえてきた。
瞑想から戻った男は、澄んだ瞳をして微笑んでいる。
「急激な動作は、気分を悪くする。ゆっくり座って、そう。
それから、またたきをしなさい。」
いつも見せている幻想から、観客たちを還らせるときと同じ言葉だ。
言われたとおりにして、私はなんとか自分を取り戻した。
「お若い方、よかったらまた明日もおいでなさい。」

すぐ出発できたのは、不幸だったのか幸いだったのか。
「私は彼、彼は私。いつも心にとめておくように。」
もう来られないと言うと、男はこう告げた。

「私は彼、彼は私。」
そんなことがあるものか。
彼は、私を愚弄し裏切り続けてきたではないか。
あの男の声が聴こえないように、激しく首を振り、耳をふさぐ。
今日の分を、やはり使ってしまおう。
パイプを燻らせ、沈み込む感覚に身をゆだね、私はまた、闇に飛翔してゆく。


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