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「オペラ座の怪人」に惑う3『カストラート クレア 1843年』

あの方は、夜の闇に紛れてオペラ座の外にも出るようになった。
上背はあっても、私よりひとつ年下の13歳の少年が夜な夜な出かけては、
なにかしらご自分の作品の材料になるものを持ち帰ったり、
仮面に力を得て、モンマルトル界隈に出没したり。
ご自分の歌声に魔力が宿っていると気づかれたのは、この頃だろう。
街娼たちの回りをたぐいまれな声の力で取り囲んで誘惑し、
時には彼らの巣窟についていかれることもあったようだ。

あの方はまた、オペラ座の大勢の出演者のなかに入り込み、
舞台袖に堂々と現われたこともある。
仮面を使うステージはしばしば行なわれていたし、舞台裏には
パトロンやメッセンジャーや、その他出演者以外の得体の知れない人々が
たくさんうろついていたから、あの方が目立つことをしない限り、
誰であるかを追及する者などいなかった。
出待ちをしている私に近づき、耳元で観客を評した冗談などをささやいて、
緊張をといてくれたことも。
この程度で留まっていてくれたらよかったのだけれど。

それはあの方の勝利の夜でもあったと言ってもよいかもしれない。
突然、腹痛に襲われたイタリア出身の美しいカストラート。
本番直前だったため、誰も代わりをつとめることができない。
困り果てた支配人が、部屋に閉じこもって払い戻しをすべきか
迷っているところへ、どこからともなくその晩の演目を歌い響かせて眩惑。
藁をもつかむ思いにさせたところへ、豪奢な衣装と仮面をつけて
現われたあの方は何ものであるか詮索せず、相当の報酬を払うという
ふたつの条件を飲ませて舞台に立った。

パリ・タブローもこの夜の「魅惑的なカウンターテナー登場」を
挿絵付きで取り上げ、それは本として残されたから、今もあなた方は、
あの方のあり日しの姿を見ることができる。
すんなりとした肢体と仮面越しの豊かな表情、完璧な歌唱は
満場の観客を魅了し、特に女性の心を捉えたと。

あの方に言わせれば「あのイタリア人の歌はなっていないから。」
確かに、魔力を持った歌い手にとっては我慢ならないものだったかもしれない。
楽屋にいるカストラートを薬草で眠らせて(ジプシーのサーカスにいる頃、
魔女然とした老女から知識を学んだそうだ。)入れ代わるという
奇術めいたことも考えていたようだったけれど、
実際は彼が手を下したわけではないと思う。
あの方にとっては、これはひとつのチャンスだったが
私にとっては辛い道に繋がることでもあった。

パリ・タブローは、あの方の顔を売る代わりにある者の注意をも促した。
少年犯罪を扱っていたジャベール刑事。
彼は後にジャン・バル・ジャンという脱獄した男を猟犬のように
追い詰めることになるのだけれど、当時はパリに横行していた少年達の
スリや詐欺などを監視していた。
あの方の人相、風体と犯した絞殺という行状は、
律儀にパリ警察に報告されていたためその事件から半年も経っていないときの
謎の少年の活躍は、刑事の嗅覚をくすぐってしまったのだ。

あの方は勝利の夜から続けて5日、舞台をつとめていたが、
客席に首実検にきた警察の姿を認め、すぐにオペラ座を去り、
ローマに向かうと私に宣告した。
「前から考えていたことだから。古今の建築物を見たいし、
実際に作る現場にも入ってみたい。
幸い、支配人から報酬もいくらか回収してあるから、
ここを出てもしばらくやっていけるだろう。」
「戻っていらっしゃることはあるのですか?」
「君には本当に感謝している。ローマで納得のいくものを作ることができたら、
いつか顔を見せにくることもあるかもしれないが。」
「必ず、帰っておいでになるわ。」
私が仮面に顔を近づけると、目を見開いて受けとめてくれた。
驚きと、寂しさが入り混じった表情を浮かべた私の偶像は
オルゴールひとつ抱えて、この街を去っていった。


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euridice

先日、関連記事にふと目が行って、おじゃましました。
とてもおもしろいです。また来てみたら、もう続きがあって
うれしかった。この続きがまた楽しみです。

私のほうに、nice! ありがとうございます。
by euridice (2005-09-06 08:19) 

ayakawa

euridice さん、こんにちは。
コメントとnice!、ありがとうございます。

素晴らしいサイトでとても勉強になります。
また訪問させてくださいね。
今後もどうぞよろしくお願いいたします。
by ayakawa (2005-09-06 13:39) 

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